7/5・6と箱根湯本に行っていました。2月の福島以来です。

今回はあまり欲張らずに、『湯本』のみにしました。それでも坂道もあり、いい運動になった。

まずは早雲公園:


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公園といっても小山のようなところで、しもた屋が一つ。ここまで、近道をして湯本駅から一気に登ったから、息が切れそう。看板は以下の通り↓


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戦国時代初期に北条早雲が築城した後と思われます。

南に下って、早雲寺。30数年前と変わっていません。開所が恐らく400年くらい前だろうから、
30数年でも短い時間ですね(^O^)

温泉宿は箱根茶屋に取ってあったのですが、この「茶屋」の登りがまたきつかった。

温泉は良。露天風呂も付いていて、緑が深かったです。
着いた日に2回、次の朝に2回入ったのに、誰とも会わなかった!!! 貸しきり状態!!!

夕食は蕎麦屋の『はつ花』。さすが、本場の「箱根そば」は違うな~

「湯本橋」から塔ノ沢方面に一枚。


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橋は一国(国道一号線)です。

湯本駅にて、「あじさい列車・ベルニナ号」


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そう言えば、あじさいの写真も(‐^▽^‐)


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ロマンスカーの旧型も入ってきました。


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帰りは直帰で、茅ヶ崎まで一時間半弱で着きました。しかし、箱根は近いな。


数ヶ月ぶりに、海老名の模型の運転会に参加した。

昨日は参加者が多く11人も来ていた。(いつもは5~6人)

クリはクモル24改造車(クモハ12の改造車の一部改造)を運転するのがメインだった。


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上面から見ると:


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モーター部分をシートで覆ったところが味噌 車輪は飾りかな。



貨車も今年の初めに改造していた。

貨車改造は:

     トキ15000/砂利を積む
     ホキ800/砂利と細かい砂


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クモルとトキと他の貨車と連結して走らせた。


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運転会は、近頃は近郊電車や電車型特急などが主体になっていたが、

クリのは路線違い((^∇^))であったが、楽しかった。





ちなみに、クリと同じサイズのレイアウトを作っている人がいて、ビデオで
見せてもらったが良くできていた。


クリのレイアウトもここ2年ほど放置されているので、少しは作り出したい
な~と思った。

今日は関東も雪です。でもぼた雪。夕方には止むでしょう。さて、

2週間前の今日、猪苗代駅は一面の雪景色でした。雪が分厚い。そして、寒い。
磐梯東都バスで「沼尻」停留所まで。停留所は雪に埋もれていました。宿のおばさんの
車で15分、『横向温泉、中ノ湯』まで。。想像より山奥ではなくて、山の裾野と言った感じです。

宿は↓
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築44年の木造。出来た当時は「立派」だったと言われましたが、ご覧のように古い建物。
ここは、もっと寒かった。

雪雪です。1m~1m50cmは積もっていたでしょうか?3時ごろついて、温泉へ。
内湯で木の湯船です。「ぬる湯」で39℃くらいかな。女風呂も有って女性はいないので、そちらも入ってみましたが、ぬるかった。兎に角、更衣室が冷たい!!!

宿泊しているのは一ヶ月くらい逗留の男性一人だけ。私を含めて2人。宿のおばさんを入れても
3人。確かに「秘境の湯」です。部屋は石油ストーブと電気ストーブ、炬燵があるんだけど、むやみに広い(12畳くらい)ので、なかなか温まらない。

そうこうしている内に、「宅急便」が届いた。ここは「自炊」の宿なんです。調理器具は全部そろっていて、電子レンジもあったので感激!!!(電子レンジは役立った)

水は止めると凍ってしまうので、ちょろちょろと出しっぱなし。調理は台所はなくて、廊下なんですが、ここがまた寒い。洗面所は一階でここも寒い。(部屋は2階)寒いずくめでした。

夜は暖房を切って寝たので次の朝4:00ごろ寒くて起きてしまいました。部屋が暖まっていなかった。でも次の日も、その次の日も朝は寒かった。しかし、体が次第に寒さに慣れていくから不思議です。

食料は廊下において置けば凍っているので腐る心配はないです。

お客は他には、結局1泊2日で泊まっていった2人連れと温泉だけ入りにきた地元と思われる数人だけ。

もう一人の宿泊者とはその影を一度、洗濯機の前で見ただけでした。会話はしなかった。一軒家なので、ほかの人は来ないし、テレビもラジオも新聞も読まないことにしていたので、外界とは遮断されていました。

お湯に入りに行くのに覚悟がいります。とにかく寒いので、(特に、朝と夜)温泉に湯治に来ているのに意を決して入りに行かないといけません。

気温は最高気温が室内でも0℃。寒い日は-2.5℃でした。最低気温は恐らく-10℃くらいかな。雪は吹雪くことはなかったけれど、いつも降っていると言った感じです。粉雪(パウダースノーです。)時々晴れます。

近くに旅館が2軒あって、それぞれ「上の湯」、「下の湯」です。次の日「上の湯」まで行きました。片道25分(徒歩)。歩いている人はいないので、来た足跡をまた戻ると言うのは面白いものです。


途中の道。
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スキー場もあって、「箕輪スキー場」と言います。4基のリフト。平日でも学校のスキー授業なのでしょうか、中学生が滑っていました。後は空いていました。

「下の湯」も行ってみました。地震の影響で「温泉」の温度が下がってしまい、38℃くらい。
冬季休館ということでしたが、せっかく歩いてきたので入れてもらいました。昨年12月以来のお客さんだと言っていました。

「鄙びた」というのを通り越した「湯治の湯」でした。



さて、5日ほど滞在し、「会津若松」によって帰ることにしました。

鉄道の接続が悪く、会津若松には3時ごろ着きました。その日は「蒲生氏郷」公のお墓に参拝↓
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磐梯山も見えました。
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次の日は「鶴ヶ城」へ
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お堀が雪で埋まっている!!!!

「鶴ヶ城」天守閣
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美しい五層の天守閣です。この日は午前中は快晴でした。

予備知識なしで行ったけど、天守閣は「資料館」のようになっていて、鶴ヶ城の歴史が分かる。

「鶴ヶ城」は蒲生氏郷により、1593年(戦国末期)に築城され、以後、上杉→加藤→保科・松平家と城主が変わって、江戸時代226年間は保科氏。明治維新の戊辰戦争で官軍に包囲され
一ヶ月の篭城の末、落城しました。

その後の会津藩士は、下北半島に移住し、蝦夷地(北海道)開拓に当たったものも多かったようです。敗者の運命とは過酷なものです。(これはあまり知られていないのではと思います)

会津若松市は会津の中心都市なので、「横向温泉」だけで、「山篭り」ばかりしていないで、地域の中心に行ったのはよかったと思います。

食事処で昨年の観光客は地震の影響で平年の1/3だったということでした。今年はどうなるのでしょうか?会津は原発からはずいぶん離れているのに!



今回、自分の事も考える良い機会だったけど、感想としては:

『雪国」の人の生活は一週間ぐらいいたところで分からない』



今回もmixi日記からの引用です。