やっとひとつ書き上げたので、昨年の城レポいきまーす!
H24.11.10(土)に岐阜城の麓にある岐阜市歴史博物館で
“戦国合戦図屏風の楽しみ方”っていう講座を受けました
その講座は午後からだったんで、近くの“加納城”をぶらりと攻めました
縄張図を持っていない、やる気のない攻め方でしたけど、
一国一城令で残った天下普請の城で、なんとあの家康が縄張りした城なんですって!(←帰宅してから知った)
そのワリには、残念なお城になってしまってましたが・・・。
臆病門の東側の櫓跡(A)
天下普請の城ですが、野面積みの乱積み、隅部も算木積みになってないですね。
私は折れ部分が好きなので入隅萌~です
同上、真東から見る
防空壕の跡なのか、石垣に残念な跡が


臆病門の西側の堀
水堀だったようですが、現在では埋められ東側は駐車場になってます。
西側は東側よりやや低くなっていますが、それでも埋められてるでしょう。
臆病門は枡形だったようですが、内部の石垣は残っていません
ちなみにその影は私じゃないですw
城内の一部発掘調査中 と 土塁? 櫓跡?(C)
凹んでいるので虎口跡かと思ったのですが、
古地図や現地説明版を見ると、櫓が描かれています。
「石垣が崩れます」って書いてありますから、石垣は土に埋もれてるんでしょうか?
ちなみに、他のところには「土盛が崩れますので(以下略)」と書いてありました。
間違ってないけど「土塁が崩れます」って書いてほしい。なんか悲しい・・・
天守は独立式 3階4重 層塔型の岐阜城の天守を移築した御三階櫓だったそうです。
でもなぜか現地案内図には櫓のマークは描かれても、天守はマークなし

公園入口(上の図の「現在地」)
古絵図には橋や道はありませんが、石垣の枡形になっていて、対岸も水堀側に出っ張っています。
緊急時に橋を架けて脱出するための虎口ですかねぇ?
こちらは櫓台(A)とは違い、こちらは算木積みですね
説明版によると岐阜県近辺の山でよくとれるチャートで、飼石は川原石を使用とのこと。
チャートは非常に固い岩で加工しにくいそうなので、
メインは野面積みで、重要部分だけ加工して算木積みにしたのでしょう
天下普請の城といえど徳川家の城じゃないから、
あまり費用をかけず(他の地域から持ってこないで)地元で取れた石を使ったんじゃないかな。

櫓跡(D)
だいぶ流出しているようで、土塁と櫓台の境界線がわかりません・・・。

櫓台(D)から見た金華山(岐阜城)
山のピークにそびえる天守は映えますね~
筋鉄門跡の石垣(二ノ丸跡から見る) 同 (本丸から見る)
二ノ丸から本丸への虎口は外枡形虎口になっていたようです。
これでぐるっと一周しました~。
公園ですが入場時間がありますので、来城の際はお気をつけください