後北条氏の墓所~早雲寺~ | kai遊録

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箱根登山鉄道で向かった箱根湯本駅はすんごい人。


「早雲山へ行かれる方は~」の文字やアナウンスで、ニヤついている人がいたら私ですははははははは




「箱根駅伝でこの辺移ってたかな~?」とか思いながら


旅行直前に衝動買いしたスマホさまに導かれて、やってきました“早雲寺”


目指すは城女



目指すは城女



この早雲寺、小田原征伐の折に秀吉軍の本陣にされたうえ、


石垣山城ができたあと焼き払われてしまいます。


その後、徳川家光が支援し復興されました。


“箱根の坂”(著:司馬遼太郎)に登場する、連歌師 宗祇のお墓もありますよ。





研究者の方なのか、熱心にお墓を見ては何かを写しているおじさんがいらっしゃいました。



目指すは城女


(お墓の写真掲載は自粛しています)







小田原駅から数分のところには“氏政・氏照の墓所”があります。


(カナリ入り組んでいてわかりにくかったです)


目指すは城女


目指すは城女



役目を終えた鈴たちが結んでありましたが、秀吉足下国在住のオイラはいただけませんでしたaya


むしろ謹んでお悔やみ申し上げたいのに・・・。



目指すは城女

墓所の説明書きには「いずれが正しいかは明らかでない」と書いてありますが、


wikiペディアの後北条氏のページには


『後北条氏では家督がこの三つ鱗の高さを低く変形させた北条三鱗を定紋としている(抜粋)』


とあります。



この墓所は「1923年の関東大震災後に復元された」とありますし、


早雲寺にしても家光が復興させているので、後北条氏の家紋は平体紋だと私は思います。



“三つ鱗”の紋は平氏の家紋のひとつで、早雲の本姓である伊勢氏の家紋でもあるそうです。




氏綱さんから“北条”を名乗るわけですが、


それは氏綱さんと早雲さん、どちらの案だったのでしょうねうーん