竹富島 種子取祭 ~ 七日目 舞台の芸能 演目1~2 ~
はいさーい、こうたろうやいびーん
なんと、10月は、まだ一度も 竹富島の種子取祭のレポ書いて無かったさぁー
今年の種子取祭は、12月の初めだから、余裕こいてたら・・・
にわかにヤバイ雰囲気に・・・
なんとか、それまでには終わらせたい・・・気もするけど
うっし、書くのだっ
そうそう、前回で 「庭の芸能」 が終わったので、今日からは 「舞台の芸能」 のレポです
ちょっと、復習ねっ
種子取祭の日程の中で、たくさんの芸能が奉納されるメインの日は 7日目と8日目なんですが
両日とも、朝から行われる 「庭の芸能」 の演目は同じものであり
玻座間村(はざまむら)と仲筋村(なかすじむら)の両村によって演じられます
ところが、「庭の芸能」の後に、やはり両日ともに奉納される 「舞台の芸能」 は、7日目が 玻座間
村、翌8日目は仲筋村が担当することになっています
ただ、いただいた演目の目次を見ていると、7日目には、東京や沖縄の郷友会を始めとした島出身者
の方々による演目も含まれているみたいですね
どちらの日も、その演目の数はハンパじゃなく
今回の場合は、7日目が 36演目、 8日目が 30演目にも及びました
スゴイっしょ?
当然、見る方も、気合いが要ります オリオン片手に、タコとニンニク食べて、お尻の痛さと闘わねばな
りません
それでは、またまた、NPO法人たきどぅん発行の 「竹富島文庫1 種子取祭」 から引用させていた
だいて、お送りします (紫色の文字の部分)
ということで、7日目、玻座間村の舞台芸能から・・・
まずは、公民館役員からのご挨拶です
内地の公民館と違って、島では、公民館というものが島の行事の中心を担っているようです
演目1番 長者 (玻座間ホンジャー)
登場人物 翁一人
ホンジャーとは、フン・イイジャーのことである。 「フン」は区域・地域の意味を表す言葉であるが、
「島やりどぅ・国やりどぅ」 のように、 「島」の対語として使う場合は、 「国」という感じを当てる。 ま
た、フンは 「村」 の対語でもあり、村よりも小さな区域の意味で使われることもある。 ホンジャー
は、玻座間村・仲筋村を代表しているので、村の対語として 「組」 という漢字を当てるのが妥当である。
イイジャーとは、「父」 の意味である。 従って、玻座間ホンジャーは、「玻座間村の父」、 仲筋ホン
ジャーは「仲筋村の父」 と解釈することができる。 つまり、ホンジャーは、沖縄本島の 「長者の大
主」 の 「長者」 とは同義ではない。
一般に、「村の父」 という言葉には、政治的な実力者、村の指導者、支配者というイメージがある
が、ホンジャーの場合はそうではない。 あくまでも、ホンジャーは芸能の統括者・責任者であり、芸能
の神様として君臨する。
玻座間のホンジャーは国吉家の当主、仲筋のホンジャーは生盛家の当主が代々その役を務め、そ
れぞれの床の間には、ホンジャーを神として祀っている。 初めて種子取祭の芸能に出演する者は、
ホンジャーの神前で「新入り」 の儀式を行った。 また、芸能の練習を始める甲申(きのえさる)のトゥ
ルッキ(芸能の配役を決める)では、 「手の誤り、足の誤り、口の誤りもなく、きちんと演じることがで
きるように」 とホンジャーの神に祈る。
種子取祭初日(7日目)の奉納芸能は、玻座間村が担当なので、玻座間の国吉家の当主がホンジ
ャーに扮して舞台に登場する。 豊作の祈願をした後、芸能を演じる許可を役人に願い出て、子や孫た
ちが元気よく芸能を披露すると宣言して退場する。
なお、ホンジャーの登場・退場に際して、玻座間は玻座間村の種子取祭の 「楽」 を、それぞれ三
線と笛と太鼓で演奏する
演目2番 ミルク (弥勒)
登場人物 弥勒神、シーザ(二才にーせー)4人、供多数、子供多数
沖縄の弥勒信仰は、ニライカナイの信仰と習合して、海の彼方の楽土から 世(ゆー:豊作・富)を運
んでくる五穀豊穣の神と考えられており、八重山の弥勒神は安南から伝来したという。
竹富島の弥勒神は、仲道家の先祖が弥勒神の仮面を海岸で拾って拝み始めたが、後に与那国家
に譲ったという。 現在でも、種子取祭に仮面をかぶって弥勒神として登場できるのは、与那国家の当
主である。 また、竹富島の有力者であった大山家も、弥勒神との関わりが深い。
弥勒神は与那国家と大山家を中心に玻座間の人々によって信仰されていたが、後に竹富島全体で
信仰するようになった。
種子取祭の弥勒神は、弥勒節(みるくぶし)の歌に促されて、シーザ(先輩=二才)や大勢の供、子
供たちとともに登場する。 弥勒への捧げ物を持った供、およびシーザは、弥勒神の周りを廻る。 そ
の後、シーザ4人による 「シーザ踊り」 が奉納され、 「ヤーラヨー節」 で退場する。
これら一連の動きは、すべて笛・太鼓の伴奏による男性の合唱で進行し、三線は使わない。 芸能
というよりも、厳粛で儀礼的なものである。
なお、竹富島の 「弥勒節」 は、石垣島の 「弥勒節」 とほぼ同じものである。 喜舎場永珣(きし
ゃばえいじゅん)氏の 『八重山民謡誌』 によると、その 「弥勒節」 は1790年代に八重山士族の
大浜用倫が創作したものである。
いかがです? ちょっと写真が少ないので雰囲気がわかりづらいっすかね?
主役?のミルクの姿は神々しく、とてもありがたい気持ちになれるのですが
一緒に出てくる 子供達の可愛らしさにも見とれてしまいます
頭に巻いた布の両端が結ばれてる様子が、おいらには、アメ玉(キャンディー)のように見えて面白かった
余裕の子もいれば、緊張してる子も・・・
聴くところによると、竹富島の子供は これで祭り(芸能)デビューするといいます
これで味をしめさせておくと、将来、学生になって一度は島を出ても、血が騒いで、また島に帰ってくる
というのですが・・・
さてさて、今日はここまで~
11月のうちに紹介しきろうと思えば、もっと書かないといけないんだけど
ま、ウチナータイムで、よんなーよんなー行きましょーねぇ
なんせ、まだ肉体疲労中のおいらですから