竹富島 種子取祭  ~  七日目 庭の芸能 ジッチュ  ~ | こうたろうちゃんちのありんくりん

竹富島 種子取祭  ~  七日目 庭の芸能 ジッチュ  ~

 はいさーい、こうたろうやいびーーーーーんとかげ


 アッついけど、空(カラ)元気だしてみた!




 竹富島 種子取祭 庭の芸能も、あと5つとなりました


 前回の芸能 「マミドー」 と同じく、女性による演目


 服装の色合いが似てるけど、あれあれ? 


 よ~く見ると、片袖脱いで なにやら 色っぽいドキドキのかぁーー?


 伝統の祭りに、そんな、オヤジが喜ぶような演目があるのかぁー?



 ・・・ 普通、ナイ だろっ汗





こうたろうちゃんちのありんくりん



 解説は 竹富島文庫1 種子取祭 (NPO法人 たきどぅん 発行) から引用させていただきます



 今から400年前(300年前とも?) に、人頭税に苦しむ貧しい百姓がいた。


 この百姓には十人の子供がいたが、重税の中で子供たちを立派に育てあげながら毎年の年貢を完納した。


 彼の模範的な所業は琉球王国の聞くところとなり、表彰されることとなった。


 夫婦と十人の子供たちは国王に拝謁することになったが、貧しさゆえに着物の袖は片袖しかなかった。



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 しかし、国王に拝謁できたことは無上の喜びであり、その喜びの踊りが 「ジッチュ」 である。


 そんなわけで、ジッチュとは十人という意味であり、その踊りは片袖を抜いて踊る。




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 この伝承は、ジッチュ踊りの由来伝承であり、そこには人頭税に苦しむ百姓たちのッ苦労、琉球国王



 のご慈悲と国王を慕う百姓の思いが描かれていて、興味深い話になっている。




こうたろうちゃんちのありんくりん



 この伝承誕生の背景には、そのモデルに相応しい実直な農民がいたことが想像されるが、それと共に 



 お役人からお褒めの言葉をいただくことを最大の喜びとする当時の風潮を物語っている。


 また、、この由来伝承は、本来は竹富島内の出来事として語られたものだが、いつしか拡大解釈されて


 琉球国王からご褒美をいただいたという伝承に変化したのだろう。

 



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 さて、この伝承に水を差すことになるが、 「ジッチュ」 という名称は 「十人」 という意味ではなく


 「シチュ、シチュ」 という踊り手の掛け声からつけられたものである。


 確かに、 「チュ」 という言葉は、沖縄方言で 「人」 という意味である。


 しかし、人数を数えるときには使わない。


 チュ(人) は、天人(アーマンチュ)、 富貴人(ウヤキンチュ)、 士族(ユカッチュ) など、その人の身



 分や特色を表す場合に使う。


 竹富島で、一人、二人、三人・・・・ 十人と数える場合は、 ヒトゥイ (一人)、 フタイ (二人)、 



 ミタイ (三人)・・・ トゥッタイ (十人) と言うので、ジッチュを十人と解釈することはできない。



 なお、ジッチュ踊りのメロディーは、沖縄本島の民謡 「唐船どーい」 である






 今、気づいたんだけど・・・


 踊り手の女性達がアゲた髪をとめているカンザシ?のようなもの


 ケッコウとがってて、ちょっと、武器にでもなりそうな雰囲気だよね


 必殺仕置き人(古っ汗)みたく パッと抜いて、グサっ血 みたいな


 あるいは、「はいたーい」 ってお辞儀すると・・・グサッ←みたいな


 女性の護身具だったりして


 考え過ぎ?









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