さすがに手術室を出る時は
ストレッチャーに乗って、だった。
うっすらギリギリの意識の中、病室に戻ってきた。
目の端で家族がいることを確認して
「今何時?」と声を発した。
12時だよ、とのこと。
手術自体は1時間ほどだったらしい。
麻酔が完全に覚めるまでそこからまた
眠ったり起きたりを繰り返し、
覚醒したことを実感したのは
体中につながれたいろんなチューブと
耐え難い悪寒を再認識したときだ。
切られた傷も痛い。ものすごく痛い。
身動きは取れない。意識ははっきりしている。
ここからが辛かった。
痛みはまだ耐えられる。
痛み止めも定期的に打ってくれる。
胸には心電図、腕には点滴、腹にはドレーン、下半身には尿管カテーテルの状態で動けない。
動けないのが一番きつい。
寝返りも打てない。
そして悪寒。
体が勝手に震え硬直する。
なんだか息苦しい。
夜中だか朝方だか記憶は曖昧だが
最初に酸素マスクが外された。
しばらく経って心電図のコードが、続いて
カテーテルも外される。
ひとつ外れるごとに文字通り身軽になっていく。
点滴も外れ、残るは腹から出ているドレーンのみとなった。
もうベッドからも起き上がれる。
トイレも自由に行ける。
が、起き上がるのも一苦労だ。
傷が痛い。
少しでもお腹に力が入ると激痛が走る。
咳払いひとつでさえ、だ。
くしゃみなどもってのほか。
くしゃみと同時に「ぎゃー!」と叫ばなければならない。
そして私は便秘だった。
久しく遠のいていた便意が、こんな時に訪れた。
意を決してトイレに行く。
終えるのに30分はかかっただろう。
30分の間、手術前に出しておかなかったことを悔い、日ごろの便秘を改めてこなかったことを悔い、
悶絶しながらことを終えた。
しかしおかげでさらに体は軽くなった。
気持ちにも少し余裕が出てきて、腹帯の隙間から
恐る恐る傷口を見てみた。
ホッチキスの針が見えた。
適度な間隔でバチンと大きめの針で留められている。
自分の体に明らかな異素材がくっついているというのはなんとも不思議な感じがした。
術後は日を追うごとに傷口の痛みが薄れ、
自分でも回復している感じがする。
諸々の数値も、異常なしだ。
それなのに退院の許可が出ない。
暇で暇で仕方なかった。
仕事をしてる時はあんなに一日中寝ていたいと
思っていたのに、実際は眠れたもんじゃない。
持参した本はすぐに読み尽くし、売店で小説を
買ってそれも読み、クロスワードパズルの雑誌を
片っ端から解いていっても、
毎日何の変化もない日々が続いていく。
そうして入院9日目の朝。
ようやく、明日退院しても良いとの判断が下った。
心底嬉しかった。
ホッチキスも取ってくれるそうだ。
というわけで最初に腹痛を起こしてから
約3ヶ月、私は腹に抱えた爆弾を手放し
ひとまず健康体に戻った。
振り返ってみるに、手術も点滴も、その他検査諸々も別に嫌じゃなかった。
何が一番苦痛だったかって、それはもちろん
「そこそこ不自由な、暇」だ。
それが私は一番苦痛だった。
ともあれ、先生、看護師さんはじめ栄養士さんや清掃の方、病院で働く全ての方にあらためて敬意とともに感謝したい。