パ:しかしですね、長宗我部家としましては、嫡男を失っておりますので、跡継ぎっていう問題がここで出てくるんですけども、このあたりはどうなっていったんでしょうね?
野:まずは豊臣秀吉のほうからは嫡男が亡くなったのであれば、当然次は次男がいるはずなので、次男の親和が跡目になるのがふさわしいという風に言われた、指示が出たと軍記物には言われているんですね。
ところが元親はお葬式も済んで一息ついてから跡目相続の評定を始めるのですが、その中で
「四男の盛親に家督を継がせ、信親の1人娘、娘が生まれていたんですね。これを娶せる、近親婚をやって、
信親の血でそのままつなげていきたい、本家・本流のそれを跡目としたいという思いをもったプランを出すわけなんです。
パ:はい。長宗我部家中、家臣にしてみるとですね、この元親の判断、秀吉からの指示のようなものもあったにも関わらず、
元親はそれをやろうということですね。
家中の中、ざわつきませんかね?
野:当然これは大反対が出たわけなんですよ。
特にこれまで元親を支えてきた一族・一門衆の中の大物と言われております比江山親興、吉良親実こういった人が
真っ先に反対をするわけなんです。
そして反対に比江山と吉良はなんと切腹を命じられます。
パ:元親によってですか?
野:そうです。あの、研究者によれば、長男を失ったショックで判断がおかしくなってしまったんではないかという人もいるんですが、
やはり元親には元親の思惑があり、厳しい処断をしなければいけない選択も迫られたんでしょう。
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