野本:さらに、実を言いますとこの四国勢という言い方をなぜしているかといいますと、土佐から来た兵だけではないのです。讃岐からも来ているのですね。ですから讃岐から連れてきた武士たちの大将もいるわけなのです。それが誰だと思いますか?
パ:十河・・・でしょうか?
野本:当たりですね。思い出しましたね。十河存保です。これは三好長治の弟で、まだ元親が阿波・讃岐を平定するはるか前の段階で最も敵対関係にあった人ですよね。十河家という讃岐の家を三好が継いでいるわけですよ。ですから三好・十河という両家は親戚関係にあって、この十河存保がなんと讃岐衆を率いて、実はこの九州に来ているわけなのです。
パ:まあ呉越同舟と言いますか、何て言いますか。長宗我部元親にしてみれば、かつての宿敵ともいえる人と一緒に出撃ですか?
野本:これは非常に心地の悪い従軍だったでしょう。何といってもこの間までですね、戦をしていた敵方の武将、あるいは将兵がその辺にいるわけじゃないですか。それは本当にね、チームワークを発揮することもできないし、それにもともと土佐勢の出撃も信親に対して出されていることになりますとね、元親は軍議の時なんかも何となく物が言いにくい雰囲気があるわけなのですね。このあたりがやはり、無理な前進命令に対して誰も「それはちょっと待ったほうが」なんてことは言いにくかった一つの要因だったのでしょうね。鶴ヶ城のすぐ近く、戸次のあたりまで押し出していくわけです。そこに押し出した四国勢は、四国衆全軍が包囲されますが、その包囲網が完成する直前に何と指揮官の仙石秀久は少数の部下を連れて真っ先に逃亡しています。
パ:え、前線から離脱してしまった。取り残されたのですか?
野本:司令官はさっさとトンズラを、ということですよね。取り残されたのは讃岐衆と土佐勢になるのです。
パ:大混乱ですよね。
野本:大混乱ですねえ。そういう混乱の中でもともと兵力の少なかった讃岐勢は壊滅。十河存保は戦死します。残るは長宗我部ですけれども。土佐勢だけが三千、三つの部隊に分かれていてそれぞれが協力しながらある段階までは戦うのですが、何と言っても相手は数万人ですから三千で勝てるわけがない。辺りはもう真っ暗でどこが何だか分からない状況なのです。そういう中で、ついに長宗我部信親が元親の長男が決断をするわけです。
パ:決断というのは?撤退するという決断?
野本:違います!父と自分がここで戦死してしまえば長宗我部家は改易になる、家がつぶれてしまう。「ここは自分が前に出て犠牲になることによって父を逃がす捨て駒になる」という判断をしたのです。
パ:(絶句)しかし元親にしてみれば、判断としては逆だと考えそうですが。
野本:やはり、親と子。それぞれ元親の側も「自分が犠牲になってむしろ若い次の世代を」という気持ちも一瞬よぎったかもしれませんが、家老たちに諫められまして元親は戦場を離脱する。そして敵軍を一手に引き受けた信親隊がほぼ全滅したというふうに軍記物では言われています。
パ:と言いますと、これが世にいう「戸次川の戦い」と呼ばれる・・・
野本:戸次川の悲劇ですよね。当時信親は22才。これからという人生を嘱望されていた若武者だったのですが戦場で命を落としてしまったのです。
FM高知様の「長宗我部元親on the history」第24回はこちら
担当者コメント:700人の家臣とともに討ち死にされた信親公・・・大分県の大野川合戦まつりでその死を悼まれていることをほとんどの高知県人が知らないという恥。なんとかせねば。