英語できたほうが得です。
しかし,中身の無い英語は要りません。
英語を喋るということは,自分や相手の立場を明確にしていく作業です。
これができて無いとちんぷんかんぷんです。
私は,謙遜なしに,たいした英語が喋れません。
だけど,対話はある程度できる。
それは,ディベートで自分の立場を明確にするすべを学んだからだと思います。(まだまだ発展途上ですが)
痛感します。Yes,なんだかNoなんだかとか。
英語での会話のうえで本当に大事です。
常に,自分がどの視点から話しているのか,
「いつ,どこで,だれが,何を,なぜ,どのようにして,」
っていうのが求められます。
これが俗に言うロジカルなんではないかと私は思っています。
立場を明確にするということは,対立も否めないということです。
この心構えなしに,英語を話したとしても,丸め込まれるのが落ちでしょう。
きっとそのことにすら気がつけないでしょう。
日本人にその覚悟はあるのでしょうか。
しかし,英語を喋って,日本人の思考を非論理的で議論の出来ない国民だと馬鹿にしだすようなら,
これはただ洗脳されたことに変わりません。
相手の土俵ではなく,自分の土俵で勝負できる日本人になりたい。
日本の和の精神を,無闇に闘わない,足るをしる精神を,わかる人に私はなりたい。
私がいえたことでは無いですが,時には大胆に,失言をも恐れ無い勇気が必要だと思いました。