英語を学ぶために英語圏の外国に来たかった。
英語がぺらぺらになれば楽しいし、知見も広がると思った。
英語を使いこなせる人間が偉くて、すごいと思っていた。
これは本心。
なので、ぺらぺらになるには一体どうしたらいいのか日々悩んでいた。
IELTSで7.5をとればぺらぺらだろうか?
MBAをとればぺらぺらだろうか?
現地の友達をたくさん作って飲み会でもすればぺらぺらになれるだろうか?
何か「認定」や「勲章」もほしいし、漠然とああ、自分は英語が出来ないと思っていた。
でも、イギリスに来てようやく実感できた、あたりまえのこと。
英語が出来る、その定義は
英語そのものが、何かを為すにあたって、何の障害にならないこと。
仕事をするにあたって、何の障害にならないこと。
生活をする上で何の障害にならないこと。
あたりまえといえば、あたりまえ。
ただ、為すこと、仕事、生活にフォーカスし、英語が目の前から消えた時、
この状態が、「出来ている」状況ではないだろうか?
英語が出来ないという言い訳や、引け目、そんなもの、微塵も感じない瞬間。
仕事にはもちろん程度がある。ただ、自分の業務の範囲で、
問題ないレベルであれば、
「コトが足りる」のであれば、
それは英語ができている。
難しい駆け引きで言葉巧みに交渉する場合もあるだろうし、OK,Thank youで足りる業務もある。
だんだん語彙が広がって、交渉やジョークや表現が広がることもある。
ただ、「コトが足りる」にフォーカスを当てれば、たどたどしくても、幼稚でも、
それで貢献ができ、成果が挙げられれば、事足りているのである。
難しい言い回しを覚えて、相手を煙に巻くこともできるが、
シンプルに説明し、端的にまとめ、核心に迫ることでコトが足りることもある。
また、事足りるために、表現を見直す事だって必要。
昔から「目的と手段を履き違えている」と指摘されることが多かった。
まさに、履き違えていたし、達成も出来ない何か「わたし英語できない病」にかかっていた。




