誰だって嫌われ者になりたくない。






にこにこにこしてて、「あの人はいい人だよねー」と言われることの方が楽だし、いいにきまってる。














でも、どうしても嫌われ者にならなくてはいけない時がある。


















それは、社員を教育するときと社員を守るときだ。


















そのためには全力で、相手と戦う。


















どんなに「あいつうるせーよな」とか「あいつ嫌い」とか言われようが。


















守るものは守る。


















でも、守るためにも守るべきネタが必要なのだ。


















筋道をはずしたことを社員がやれば、なかなか守ることはできない。


















そのときは戦わずして、ひたすらあやまるしかない。


















(それも守ることになるのかな?)


















嫌われ者でいいんです。


















めんどくさいやつでいいです。


















誰からやらなければいけないのであれば、守るべきものがある私がやればいいんです。


















それが社長の仕事です。


















でも、やはり私も心が折れそうになることもたくさんあります。


















怒ることはとてつもないパワーが必用です。


















ましてや、嫌われ者に徹することも同じく。


















そんなパワーをここ数日岡本太郎からもらっている気がします。


















土屋さんのコラムから。








































第482回






2006/7/13 1:58:14





少し落ち着いて来たかな…







「明日の神話」除幕の興奮からようやく己を取り戻しつつある土屋です。



毎日汐留駅で降りて「明日の神話」を数分眺めてからデスクに向かうのですが



「やっぱりいいわ、何度見ても、いくら見ても」と思うのです。



「本物なんだなあ」ともつくづく思います。



今回のこのプロジェクトに参加して、すべてではありませんが



今まで読んでいなかった何冊かの岡本太郎の本を読み、いくつもの言葉に会いました。



そして番組を作っていく過程で、それが「言行一致」であった事も思い知りました。



カッコいい生き方をしている人は多分沢山います。



堀江さんも村上さんも「全然うらやましくないか?」と聞かれたら



正直言えば…うらやましいです。



起業をして成功している沢山の人たち、ビル・ゲイツから孫正義さんまで



すごいなあ、とは思いますが



でもやっぱり”岡本太郎”の方がスゴいと思ってしまうのです。



「芸術家は生け贄だ!」と言いました。



血だらけになって追い求め、それを表現する。そしてそれが沢山の人の目に触れる。



「一度表したものは石ころと同じだ。見てもらっても見てもらえなくてもいい」とも言いました。



そして常にこう言いました。



「昔も未来もない。今、この瞬間瞬間を生きるのだ」



そして「見返りを求める事などみっともない」とも。



岡本敏子さんが惚れ抜いて支え続けました。



番組の中のドラマでもやりましたが



ある時、衰えを感じた太郎が言います。



「自分がもし岡本太郎でなくなったら自殺がしたい」



「でもその時はもう自殺する気力も残っていないかも知れないなあ」



敏子がこう言います。



「安心して。その時はあたしが殺してあげるから」



太郎は本当ににっこりと笑ったそうです。



でも敏子さんは何度もこう言いました。



「岡本太郎は生まれたときから岡本太郎ではなかったのよ。岡本太郎になったの」



何と言う勇気の出る言葉でしょうか?



最初に”Be TARO"したのは他ならぬ岡本太郎自身だったのです。



限りなく己の持つ熱を発せよ!



この事をやり抜いたのが”岡本太郎”というと太郎と敏子が作ったユニットだったのです。



自分の中にある、つまり人にはない、自分にしかないものを見つめる勇気、そしてそれを解き放つ力、解き放ったあとは執着せずに次へと向かうエネルギーをまた発する!人の評価に惑わされない。本当に瞬間瞬間を生きていく。つまり「いつ死んでもいい」と本当に思っている。自分の安住などに全く興味がない。表現へのエネルギーだけが決して消えない。



これらの事に何の濁りもない。その事が「芸術という奇蹟」を起こしたと思うのだ。



「奇蹟」を呼び起こすものそれが芸術であり、だから「芸術は呪術」なのである。



表現は奇蹟を呼び起こす事が出来るのか?



それは“生け贄”になる覚悟があるかどうかだ。























































「安心して。その時はあたしが殺してあげるから」



太郎は本当ににっこりと笑ったそうです。










なんと勇気の出る言葉でしょうか。





























「岡本太郎は生まれたときから岡本太郎ではなかったのよ。岡本太郎になったの」



最初に”Be TARO"したのは他ならぬ岡本太郎自身だったのです。



限りなく己の持つ熱を発せよ!














限りなく己の持つ熱を発せよ!














己の信念を貫くこと。














守るものがあるということ。






















パワーはもらうだけでなく、「己が発するものなんだ」。






















会社というのは、私の「表現」の場です。


















私の作品は社員であるジールの仲間です。


















私は「表現」のため、「作品」のため、生け贄になる覚悟をします。


















我々の表現は奇蹟を必ず呼び起こすのです。































私が仕事で関わっているから言うんではではありません。


















一度、汐留に足を運んでください。


















岡本太郎が、必ずあなたに何か問いかけます。


















自分でパワーを、熱!を発するきっかけをくれます。


















すくなくとも私は、当然ここ数日の現場で肉体は疲れていますが、精神は熱を発しています。