ゼミの研究も兼ねて、新国立劇場との提携オペラ『カルメン』を観にびわ湖ホールへ。

    沼尻先生×東京フィルによる前奏曲は、熱狂に満ちた爆発的な音響というよりは、スマートで厳かな印象。都会的なサウンドというのかな?トライアングルの裏打ちがかなり際立っていたのは打楽器奏者としてなかなか嬉しかった。第3幕2場では打って変わってグッと盛り上がったトレアドールで、フィナーレも圧巻だった。
山下牧子さんのカルメンは、マリア・カラスのような妖艶さというよりは、自由奔放さが前面に出たカルメン。ホセの花の歌やミカエラのアリアも素晴らしく、とても満足。
 
 ただ、SNSで評判をいろいろ見る限り、オリエ氏の新演出は相当物議を醸したようで…。おそらくあまり調べずに、いわゆる古典のカルメンを期待して来た人は度肝を抜かれたと思う。あのチラシのデザインはさすがにミスリードだったのでは…。

 舞台は東京。カルメンはロックバンドの歌手、ホセは警視庁の警官、密輸商人はドラッグディーラーに置き換えられ、女工らの気質はバンドのファンらに投影される。リリャス・パスティアの酒場はクラブになり、ホセが牢屋で握りしめていたバラの花はタトゥーに変貌し、闘牛士の入場はセレブリティのレッドカーペットに。よく考えたなぁと感心したが、セレブリティに続いて、とんでもなく派手なザ・闘牛士の格好をしたエスカミーリョが登場すると、さすがに頭の中がぐちゃぐちゃになった。

 「東京で開催されたスペイン関連のイベントの一環としての闘牛」という設定はやむを得なかったのだろうが、なにより気になったのはミカエラの人物像。現代という舞台には、都市と地方の対比は描きにくいのだろうが、ジーンズ姿のミカエラに「お母さまの口づけを」なんて言われてもあまりピンとこない。舞台と衣装と脚本のミスマッチ感が目立った。

    オリエ氏は演出にあたって「観客を現実に浸らせる」ことを意識したそう。確かに現代のエンターテインメントの世界は、メリメが描いたボヘミアンの世界に投影可能なものではあると思う。ただ、そこにある内面的なつながりがあまり感じられなかった点が残念だった。現代の女性の自立やそのエネルギーをカルメンに映し出そうというのならば、脚本や音楽を巻き込んで、もっと思い切った改変をしてもよかったのでは?

    「現代におけるカルメン」というよりは「もしカルメンが現代にいたら」になってしまっていて、観客を現代という舞台に浸らせることはできたかもしれないが、その舞台は現実の世界にはなり切れなかった印象。

 ハバネラについて。舞台装置を生かして、カルメンが物理的にファンの上に立ち、彼らが近寄れないことによってその独立性が表されているのはとても面白かった。原作にある、グアダルキビル川で沐浴をする女工を上から見物する男という構図とは逆になっている。また、スクリーンを使ってカルメンの視点を作り出したのも興味深い。

 鉄骨の舞台装置はとても良い役割を果たしていたと思う。オリエ氏は、舞台が特別な場所ではなく「ニュートラルな環境」になると述べていたがその通りで、舞台と客席はフラットな関係に近づき、バックヤードを除いているかのようなリアリティを演出していた。また、規則的で武骨な装置は広がったり狭まったりしながら、秩序だった現実社会にも、怪しげな裏社会にも、ホセの内面世界にもなり、最終的にはホセを押しつぶす檻になる。光を反射することで空間に色がつくのもとても面白かった。客席によっても柱の見え方は全く変わってくると思う。

    少なくともカルメンを現代に連れてくることには成功していたし、オリエ氏が参考にしたというエイミー・ワインハウスについて知れば、今回の演出の意図も見えてくるのかもしれない。何はともあれ「衝撃の話題作」ではあった。