2018年12月7日(金)~ バンコク~ベトナム・ホイアン

 

 

 ドーともゴーとも聞こえる音に私は目を覚まします。

 

 意識がはっきりするに連れ、この音がシャワールームの天井に張られている半透明の天板を叩く雨の音だと分かりました。

 

 この部屋には窓がありませんので、私は外の様子を確かめるためにベッドから下り、部屋の入口のドアを開けて通路のほんの先にある庭先を窺いますと、熱帯らしくよく茂った庭木の葉を叩き落とすような勢いで沛然と大粒の雨が降っていました。

 

 もう、ここホイアンの宿に大雨で降り込められて三日目です。

 

 私は数日前にバンコクからダナンへと戻って来ました。

 

 タイ・エアアジア便でバンコク・ドンムアン空港を16:40に出発し、ベトナム・ダナン国際空港には18:20に到着です。

 

 本当は陸路でダナンへ向かう事も考えていましたが、航空運賃が3,383円でしたので、陸路を行くのよりもひとっ飛びで、かつ安く行ける事を思うとついこちらを選んでしまいます。

 

 そして、この日は往路でも利用したダナン・トモダチ・ハウスに一泊し(ドミトリー、一泊376円)、次の朝、ホイアンにやって来たのです。

 

 ホイアンでの宿はアゴダで予約した一泊1,200円の「ブルーレイク・ホームステイ」で、バスターミナルから歩いて10分ほどの閑静な住宅街の一角に在りました。部屋は広く清潔で冷蔵庫もあり、WIFIも室内で出来ます。一階の奥まった所にあるため窓はありませんが、サッシ戸の外にある半透明のアクリル板からの外光で閉塞感はそれほどありません。

 

♡私の泊まる部屋にしては随分、立派。この宿は観光の中心地からやや離れているので宿泊客も見掛けず、空いていたのでこの宿のドミトリーにしても良かったのだが。

 

 私はしばらく雨の様子を見ていましたが止みそうにもなかったので旧市街にある有名な日本橋(来遠橋)まで行ってみる事にしました。

 

 雨に濡れないようにパンツの裾をめくり、カメラなどが入った肩掛けバックを前に抱きかかえ、折り畳み傘の中に身を丸めるようにして歩き出します。もちろん、足元はサンダルです。

 

 大通りに出ますと湖が雨に紫色に煙っています。見ればこんな大雨でも合羽を着て釣りをしている人がいます。いつもなら、すぐに近くに行って見物するのですがこの雨ですので、そのまま先を急ぎます。

 

 15分ほど歩いたでしょうか、住宅街から商店の立ち並ぶ通りを歩いていますと道端にオープンカフェがありましたので中に入ります。

 

 私と同じく雨を避ける為でしょう、店先にバイクを停めて何をするでなく、外の様子を眺めている人達に混じって飲むベトナム式コーヒーも味なものですが、一向に雨は衰えそうにありませんので意を決して再び外に出ます。

 

 もう、道路は冠水して水路のようです。

 

 

 通り過ぎるバイクや車に水を跳ね掛けられないように注意しながら歩道を歩いていますと、突然、ベトナム親父が大声を出して私に突っ掛かって来ます。

 

 何事だ、と振り返りますとベトナム親父は私を突き飛ばすような勢いで迫って来ましたが、結局、軽く当たるか当たらないかぐらいに私に触れただけでした。

 

 どうやら店先の歩道上にテントを張り、その下に商品を並べていたところを私が傘を差したまま通ったので商品に雫が落ちてしまい、怒ったようですが、もちろん、私はベトナム語が分かりませんので、何事かあらん、とばかりに怒鳴られても別にたじろぐ事も無く泰然自若、鷹揚に?振り返ったので男性は気勢を削がれたようです。

 

 日本風に考えれば、ベトナム親父の店先の歩道上だけ、人ひとりがやっと通れるくらいにしか通路がありませんでしたので公道の不法占拠ではないか、とも思えるのですが郷に入っては郷に従え、と言う事でしょうか。

 

 そこからさらに先に進みますと総合チケット売り場のある広場に出ました。ここまで来るとかなりの数の観光客で賑わっています。

 

 見ると果物の王様、ドリアンをカットして売っている屋台が出ていましたので買ってみる事にしました。値段は10万ドン、日本円で480円です。こんな所で売っていますのでかなりの割高でしょうが。(ドリアンはどこでも高級フルーツではある)

 

 屋台の傍で立ち食いしていますと、中国人の中年女性がドリアンに興味があるのか、何事か屋台の親父に話し掛けます。どうやら安くしてくれ、と値段交渉をしているようです。

 

 しかし、親父はまける様子がありません。(すぐそばで10万ドンで買った私が食べている、と言うのもあるか)

 

 とうとう、中国人女性はどこかへ行ってしまいました。親父は私に何事か、語り掛けます。どうやら中国人は金に渋い、とでも言っているようです。

 

 ところが、また同じ中国人女性が現れ、屋台上のドリアンを手に取ってためつがめつしながら親父と値段交渉を始めます。

 

 

 が、親父は憮然とした表情で拒絶します。すると今度も中国人女性はどこかへ行きますが、また戻って来る、という事を二度、三度と繰り返します。

 

 そして、とうとう親父は怒り出して中国人女性を追っ払ってしまいました。

 

 私は事の顛末を見ると南沙諸島を巡る中越の争いが頭に浮かびます。頑張れ、ベトナムと心情的には応援したくなります。

 

 それにしても今日だけでも怒鳴る場面に遭遇したのはこれで2回目です。そう言えばハノイでも見るからに温厚そうな運転手のバイタクに乗っていると、親子連れが乗ったバイクが少し横から突っ掛かって来るや否や過剰ではないか、と思えるくらい怒鳴っていましたが。

 

 何かの本で、ベトナム人はカッとなると頭に血が上りやすい(よく言えばガッツがある)、と書かれていたのを呼んだ事があります。このおかげもあって?ベトナム戦争では、あの軍事大国アメリカに勝ったのだと。

 

 もちろん、普段は穏やかに暮らしていて(多分)、あちらこちらで怒鳴り合いをしているわけではありませんが。

 

 逆にタイでは人前で大声を出して怒るのは恥ずかしい、大人(たいじん)では無い、と言う考えがあるそうで、タイに進出している日本企業の社員はタイ人従業員に注意するのに気を使うそうです。(さらにタイ人はめんつを大事にするので人前で怒られるのも特に嫌うらしい)

 

 ドリアンを食べ終わった私は、土産物屋の並ぶ通りを東に進みます。ちなみに、よくテレビなどではタレントが「いや~、臭い!」とか「オェ!」などと言ってドリアンを食べているシーンが出て来ますが、その身は甘酸っぱさというものは無いので果物感は無ですが、ねっとりとした甘みの強いカスタードクリームのようで私は好きではあります。

 

 道沿いに歩いていますと、やがて屋根に覆われ、中ほどに廟のある思ったよりは小ぶりの橋が現れました。これが日本人橋です。

 

♡ベトナムを代表する観光名所のひとつ、日本橋(来遠橋)。1593年にホイアンに住んでいた日本人によって架けられた。

 

 日本橋の中から増水したトゥボン川を眺めると、観光客を乗せた伝統的な手漕ぎの小舟が何艘も雨に煙り行き交っています。漕ぎ手の被っている三角の菅笠ノンラーがここはベトナムなのだ、と強く旅情を掻き立てます。

 

 

 この橋からさらに東に進むと景観保存地区となっていて往時を思い出させるような古い建物が並んでいます。

 

♡雨も小降りになって来て、狭い通りは観光客でご覧の有様。

 

♡通りを歩いていると、そこここにベトナムの民族衣装アオザイを着た女性の姿が。これは、京都でも見られる、観光客が舞子の姿に扮して通りを歩いているのと同じ類のなんちゃってアオザイ娘なのだろうか。

 

 その後、ホイアン市場で食事をして宿に帰り、その翌日、私は日本に帰るためダナンから香港に向かいました。

 

 香港到着後、香港エクスプレス航空が主に使用しているサテライトへ向かい、今夜の寝床の確保に動きます。

 

 目当ての場所に着いてみると、ほとんどの椅子で人がくつろいでいましたが、幸い、一つだけ空いていましたのでそこに腰を下ろします。

 

 

♡この旅行の行き帰りに空港泊でお世話になった香港国際空港の椅子。この椅子の上で二晩も過ごしてしまった。

 

 やはり、あお向けで両足が高く広がる姿勢(別に広げなくても良いが)は分娩台を思い起こさせます。(私に出産経験は無いが)

 

 そして、うとうとしていますと人の動き出す気配に目が覚めます。時刻はそろそろ日も変わる時刻でしょうか。

 

 どうやら少し離れたゲートで搭乗が始まったようです。私の周りから人がいなくなりました。

 

 やがて、旅客は全員、機内に入ったようです。すると、グランドスタッフが私の方を指さして何か話しています。どうやら、おい、あそこに居る奴、この便に乗るんじゃねえのか、とでも話しているのでしょう。

 

 私は首を少しもたげてゲートを見、ああ、あいつはあそこで夜を明かすつもりだろう、という事をスタッフに知らせます。

 

 しばらくするとスタッフの姿も見えなくなり、静寂が辺りを支配します。そして、やはりこの時期です。寒さが増して来ましたのでバックから一枚、服を取り出して着込み、改めて夢路を辿ります。

 

 

 後は森閑とした深夜のサテライトに、私のヒッヒッフ~、ヒッヒッフ~という寝息だけが聞こえて来るのみなのでした。

 

 すでに季節は師走です。

 

             2019年秋の旅行記録 完