2018年11月9日(金)~ マンダレー~インレー湖

 

 

 今日は、インレー湖に移動です。

 

 インレー湖は、ゴールデンロック、マンダレー、パガンなどと共にミャンマーを代表する観光地で、シャン高地に位置し、標高約900mにあるため夏でも涼しく過ごしやすい場所です。

 

 私が利用したバスはJJエクスプレス社のVIPバスで、運賃は1,424円です。座席は横3列とゆったりしていて水と軽食が付き、何より嬉しかったのは、冷房が利き過ぎていない事でした。

 

 マンダレーを朝9時に出たバスがインレー湖観光のベースとなるニャウンシュエに着いたのは、もう陽が暮れかかる時刻で、結局、この日は一日掛かりの移動となりました。

 

♡途中の休憩所で。乗り込もうとしているのは添乗員さん。

 

♡ゆったりとした車内。座席には、中国製液晶パネルもあり、ゲームや映画が楽しめる。

 

 マンダレーを出発したバスは、最初、平地のよく整備された道路を走っていましたが、やがて山岳地帯に分け入ります。道も曲がりくねった道路に変わりましたが、所々で大規模な改修工事が行われていましたので、いつの日か、この道も快適な山岳道路へと変わるのでしょう。

 

♡九十九折れの坂道を登る先はシャン高原。

 

 

♡ここでも中国資本による大規模開発が進められて行く。個人的には、あまりいじって欲しくないが。

 

 

 午後になってバスはとある街に到着しました。ここでかなりの旅行客がバスを降り、そして、その先のインレー湖へ行く乗客もバスを替えます。ここはカローという街で、標高が1,320mあるので空気もヒンヤリしていて別荘地の趣です。

 

 しばらく休憩した後、バスは再び、インレー湖目指して出発です。道は分水嶺を越えたようで下りが続きます。

 

 そして、眼下に盆地が見えて来ました。インレー湖まではあと一息のようです。

 

 

 やがて、バスはニャウンシュエの町の手前で停まり、ここで入域料、1万五千チャット(1,095円)の徴収を済ませるとバスは、ニャウンシュエにようやく到着です。

 

♡ニャウンシュエの中心部。

 

 

 私は、近くに居たバイクタクシーの運転手に、宿の名前を告げ、連れて行ってもらいます。

 

 

♡Exotic Inn。個室(トイレ・バス共同)で朝食付きが一泊1,400円。ドミトリーも有り。

 

 このエキゾチック・インに2泊した後、宿を替え、今度はManaw Thuka Hotel (マナウ トゥカ ホテル)に移ります。

 

 

 

 このホテルは、バス・トイレ付きの個室で朝食も付いて一泊985円です。部屋は清潔で明るく、開放的で、従業員は親切でした。場所は、街の中心部(マーケット)からは少し離れていますが、無料の自転車で10分ほどで行ける距離です。

 

 私が泊まった時に、ちょうどwifiの工事をしていて使えなかったので、ここも2泊して他に移ったのですが、ここはコストパフォーマンスも良く、しばらく滞在してもよかった宿でした。

 

 私は、部屋に荷物を置くとレセプションに行き、明日のインレー湖ツアーを申し込みました。ツアー代金は、8千チャット(584円)の一日ツアーです。

 

 翌朝、朝食を済ませて待っていますと、ピックアップの車がやって来ましたのでそれに乗り込み、このホテルとは街を挟んで反対側にある運河沿いの船着き場へ向かいます。

 

 ツアーメンバーは、ニュージーランドから来た、映画「ダイハード」のブルース・ウィルス似の兄貴に、イングランドからの若い男女、さらに台湾の男性に私の5人で、さっそく船に乗り込みます。幸い、天気も上々で絶好のツアー日和です。

 

♡ツアー船は、細長い川船タイプ。

 

 私達の乗った船は、両岸に家がぽつぽつと並ぶ運河沿いをダダダダッというエンジン音も高らかに、朝の冷涼さの中、快調に飛ばして行きます。

 

 この運河には、私達と同じようなタイプの船が行き交っています。地元の人達の足として使われている船や私達と同じツアー客を乗せた船などで、どの船もエンジンから伸ばした長い駆動軸の先に付けたスクリューを水面に突っ込み、盛大に水を跳ね散らしながらの疾走です。

 

 互いに手を振り、振られたりしながら進んでゆきますと、船は運河から開けた水面に出ました。インレー湖へと入ったようです。

 

♡爽快この上も無し。

 

 

 見ると、私達が行く先の湖面に何艘もの船がたゆたい、漁をしているようです。漁師は、この地方の伝統衣装を着て、漁具もインレー湖独特のもののようで、櫂(かい)も両手ではなく、器用に片手と片足で操っています。この地方特有の操法のようです。

 

 これは珍しや、と皆が皆、カメラを向けますと、こちらに向かって様々なポージングです。どうやらこれは、インレー湖観光協会?のサービスの一環のようでした。

 

 

 

♡バッチリ決まったポーズ。

 

 そして、さらに進みますと今度は実際に朝の漁を行っている船が何艘もいます。

 

♡やっぱり、片足漕ぎ。こうすると、片手が使えて便利なのだとか。強靭な足腰とバランス感覚が要りそう。

 

♡水草採り。採った水草は浮畑の肥料や補修に使うそう。ここら辺りの水深は2~3メートル。顔が白っぽく見えるのは、タナカというミャンマー特有の顔料を塗っているから。成人男性は、まず塗らないので、写真の人物は未成年者か。

 

♡浮畑。主にトマトなどを栽培するそう。根腐れしそうだけど、これも水耕栽培の一種なのか。

 

 

 やがて、私達の船は、水上集落の中へと入って行きます。

 

 

♡これは水害に見舞われた集落ではなく、日常の風景。

 

 この後、私達の船は綿織物や絹織物の工房や、金細工の工房、さらにマーケットを見物して行きます。

 

♡織機を使って布地を織るカレン族の女性。首に金属製のコイルを巻いて首を長くする風習が残っている。いわゆる首長族の人達。虎は、まず獲物の首を狙うので、その被害から女性達を守るために、この風習が広まったとどこかで読んだ事があるが、どうだろう。ちなみに、このコイルを置いていたので持って見たけどかなり重い。首を伸ばすというより、むりやり肩を押し下げる感じになるのか。

 

 やがて、昼食の時間になりました。昼食の場所は、観光客向けの水上レストランです。

 

 船を階下の船着場に繋ぎ、皆で上に上がります。

 

 私は席に着く前にトイレに行きます。こういう多国籍グループの共通言語は英語になります。ニュージーランドから来たブルース兄さんや、イングランドからのヤングカップルはもちろんの事、台湾からの男性も英語が話せますが、言葉が不自由?なのは私だけです。それを思うと、みんなで和気あいあいと昼食を食べている中、私一人がポツネンと座っていると思うと、私は何だか気が重くなってしまい、一人、別の場所で食べるのも気が楽で良いや、と思ったのです。(別に気にする事もないだろうが)

 

 ところが、トイレから出るとちゃんと私の席を確保して皆が座って待っていてくれました。(これはこれで嬉しや)

 

 そして、食事は始まるとブルース兄貴や台湾の男性が気を使って分かり易く話題を振ってくれ、それはそれで楽しい食事会になりました。

 

 もうひとつ、この昼食時の事ですが、この昼食はツアーに付いているのではなく、各自がメニューを見て、自費で頼むのですが、イングランドカップルは二人でフライドポテト一皿分しか注文しません。

 

 なんでも、このイングランドカップルは、ここへ来る前に日本に寄って、富士山にも登ったそうですが、哀れ、思いのほか、日本の物価が高く、金欠状態に陥ってしまったとの由。何だか、つい、愚痴られているような気持ちになるのでした。

 

 昼食後、次に私達のボートは、千を超える仏塔が立ち並ぶというインデイン(Shwe Indein Pagoda)を目指します。(追加料金3,000チャット)

 

 湖面を離れてクリークを快走して行きます。両岸には釣りをしている人やパンツ一枚に菅笠をかぶった人を乗せた水牛が突然、現れたりと見ていて飽きません。

 

 

 そして、インデンの船着き場に到着です。

 

 

 集合時間を聞いて、さっそく両側にお土産屋の並ぶ参道を上がって行きますと目の前に14世紀から18世紀に建てられたという仏塔が現れます。

 

 

♡つい最近、建てられた仏塔もあり、銘鈑をよく見ると中には日本人建立のものもある。

 

♡崩れかけて風化しようとしているものも。盛者必滅会者定離、祇園精舎の鐘が鳴る、諸行無常、いと哀れなり。否、これは新しきものが次々と生まれいずるを見ると全てが土に帰り、そして生まれ変わる輪廻転生か。

 

 集合時間になったので船着き場に戻ると皆、揃っていましたので最後の見学場所へ出発です。

 

 クリークを抜け、湖面に出てしばらく走っていますと、空が俄かにかき曇り、冷たい雨が降って来ました。船備え付けの傘を貸してもらい、それをさしたまま走っていますと、前方の水面に大きな寺院が見えて来ました。

 

 ここは、1884年に建てられたガーペー僧院と言い、インレー湖ツアーでは必ず立ち寄る場所だそうです。

 

 船を舫って他のツアー客と混じって本堂に入りますと、何やら金のお団子状の物が中央にあります。

 

♡この鏡餅状の物が置かれてある台上は女人禁制。

 

 

 これはもともと、ありがたい小ぶりの仏像だったそうですが、参拝する人が金箔を貼っていく内にこんな姿になったそうです。 

 

 私もさっそく近くの売店で金箔を買って台の上にあがり、仏像に金箔を貼りつけて、残りの現世とついでに来世の御利益を願ってお祈りします。

 

 この金箔セットは枚数もあったので、たまたま近くに居たブルース兄貴に、貼ってみないか台上から勧めてみましたところ、固辞します。兄貴はニュージーランド人ですので、たぶんキリスト教徒でしょうから宗教上の教義上断ったのでしょうか。周りを見てみますと、欧米人の姿も見られますが、誰一人、台の上に上がっている人は居ませんでした。

 

 私一人、ミャンマーの人達に(たぶん)混じり、嬉々としながら私利私欲にまみれた願いを唱えているのでした。

 

 こうして、最後の見学を終え、夕暮れの迫る紫色の湖面を一路、ニャウンシュエ向けて船を走らせます。

 

 そして、船はニャウンシュエの運河沿いの桟橋に着きましたので、皆、陸に上がり、メインロードに向けて歩いているうちに台湾の人、そしてイングランドカップルと、それぞれの宿の前に来ましたので挨拶をして別れます。

 

 残った私とブルース兄貴もしばらく一緒に歩いていましたが、兄貴が泊っているホテルの前に来ましたので、私はどこぞで丸覚えして、いつか使ってやろうとした文を思い出し、「I hope I see you again.」と声を掛けると、兄貴も「Mee too.」と言って別れました。(私の言った言葉は、もう一度、絶対にあなたに会いたいな、のニュアンスが強いらしい。ブルース兄貴も面食らっていたような。シー ユーくらいにしておけば良かった)

 

 すでにニャウンシュエの町は黄昏を迎え、高原らしく冷涼さを増し、散策する観光客や帰宅する現地の人達が多く、行き来していました。