こんにちは。

ズボラ主婦chomekooです。


今日は、以前から自分の気持ちの整理として書きたいな、、と思っていた、“入院中に医師から中絶の選択肢を示された時のこと”を書きたいと思います。


子供の障害、中絶などに関して書くので、不快に思われる方はご注意下さい。


約、妊娠15週のときに破水し、入院となり。その後、一ヶ月ほど破水が止まらず、医師から以下の説明がありました。


・破水したことにより、羊水感染が起き、胎児に影響(主に肺、呼吸。呼吸がうまくいかず脳に障害が出る)する可能性がある。ごく極めて稀ではあるが、破水をせずに正産期を迎えた人よりは、確率が高い。


・障害は、産まれてみなければ分からない。産まれた後、数年後にわかる子もいる(立てる時期なのに立てない、など)


・発達障害を伴う確率も、他の赤ちゃんよりは高くなる


とのことで、それらを含めて、妊娠を継続するか、中絶するか、一度考えてほしいと言われました。


猶予は約10日ほど。

私はすぐに、脳に関する障害を持って生まれた赤ちゃんや、発達障害のお子さんについてかかれたブログを読み漁りました。


当たり前なのですが、私と同じ時期に破水しても、羊水の残りの量や感染の有無で、赤ちゃんの状態は全く変わってきて。

それに伴い、それぞれの親の決断も違っていて。

本当に、妊娠、出産って(それに限ってではないですが)、いろんな思いがあって、いろんな苦労があるんだな、と思いました。


私が気がかりなのは、

・障害を持って生まれた子供をきちんと愛せるのか

・上の子供二人の負担がどれだけのものになるのか

でした。

でも、それよりも何よりも。

中絶を選んだ後、私はこの決断を一生一人で抱えて生きていけるのか?

と言う事ばかり考えていました。


本当に、自己中心な人間だな、と改めて思います。

中絶を選んだら、私は今後、障害を持った人と関わる度、「私はこの人たちへの差別心から赤ちゃんを殺したんだ」「子ども達には“人を差別しない”なんて言っておいて、自分は差別の塊じゃん」と思うんだろう、、そんな人生が続くなんて耐えられない。

今の週数で中絶したら、火葬して納骨して、、仏壇も用意するかも。仏壇を見る度自分が責められてる様に思うだろうな、障害があったとしても楽しい人生を一緒に歩めたかも知れないのに、と、産んだ時のことを考え続けるんだろうな、、毎日後悔して生きていくんだろうな、、そんなの辛すぎる。


結局、その時点では、羊水の量が適量で、感染も無い、もともと出生前検診もしてない(私の年齢だと、破水云々での障害を持つ確率よりも、染色体異常での障害を待つ可能性が高い)のだから、障害を持った子供でも、産むんだ、、と妊娠初期に決めていたはず、、、など理由をつけて妊娠継続を選びました。


これは表面上の言い訳で。

本心は、ただただ、自分を傷つけたく無いだけだったな、と思います。

多分、障害を持たずに産まれてくるだろう、という安易な考えもあります。


結局、自分のことが一番可愛いんだな、、とおもった出来事でした。

私は流産を3回経験しましたが、友達が中絶した話を聞いたとき「流産より中絶の方が、自分の意思で決められる事だから傷つかないんだろうな」と思っていました。

そんな事ないですね。自分で決めるからこその自責の念がついて回る。

皆、いろんな想いを抱えているんだろうな、、と思います。


ちなみに、旦那からは「もし中絶するならそれでもいい。また次を作るというなら、それも出来るんだから」「もう胎動も感じてるだろうし、俺の考えよりもchomekooがどう思うかが、大きい」と、判断は私に任せるとの事でした。

一見、わたしの気持ちに寄り添う人の様に思えますが、、、。

そもそも、旦那は障害がどの様なものか知らないし(私も付け焼き刃で調べただけですが💦)、中絶しておいて次の子供、、なんて、考えられない。

旦那との関係性が良ければ、中絶についての考えや葛藤を夫婦で話し合えるけど、そんな関係性ですらないんだな、、と再確認するだけでした。


とても長くなってしまいましたが、私が中絶を選ばなかった時の気持ちを残したくて書き込みました。

気分を害された方、特に中絶を選ばれた方には不快な思いをさせていると思いますが、、。


まだ、赤ちゃんが生まれる前に。

障害を持っているか持っていないか分からない状態のうちに、書き留めたいと思いました。


長々と失礼致しました。

これにて失礼致します。