母が神経膠芽腫(グリオブラストーマ)に

母が神経膠芽腫(グリオブラストーマ)に

大好きな母が、神経膠芽腫(グリオブラストーマ)という脳腫瘍になりました。あの日から、家族全員の生活は一変し、分からない事だらけの中で手探りで看病をしています。病気になる少し前からの事を、拙い文章ですが私なりに書いていこうと思います。



それから熱があまり下がらず、一週間ほど肺炎の症状に苦しみましたが、母は日々少しずつ意識の回復が見られ、波はあるものの目を開けている時間が増え、手術から約二週間後の6/20、母が初めて言葉を話しました。
記念すべき第一声キラキラ 

「枕が痛い…」

お母さん、しゃべったー!!!!!と大興奮!

ん?

名前とか呼んでくれるかと思いきや、枕が痛いのか!
ごめんごめん、全然気付かなかった。
ずっと言いたかったのかもしれないね…(笑)
慌てて枕をクッションに変えて、ちょっと痛さを軽減。
なるべく母が床ずれをしないように、ニトリでもちもちクッションという、肌触り抜群のクッションを色々な大きさで購入し、母の背中や足の下に忍ばせました。
入院中は結構役に立ったと思います。

次の日は弟と二人で病院へ。
執刀医が今後の治療方針を話し合いたい、との事で、弟と一緒に話を聞くことになりました。

午前中、家で支度をしているとピンポーンとチャイムがなり、出てみるとマイクを持った男の人が立っていて、その後ろにテレビカメラが。
この人見たことあるなーと思っていたら、そのレ


ポーターが「お宅の門の所で陶器のお人形を見つけて、あまりに可愛いので買ったものなのか、誰かが作ったものなのか、お話を聞きたいのですが…」と言いました。
言ってる後ろで、もうカメラが回ってる(笑)
このテレビ局、地元の超ローカルテレビ局で、面白いものを見つけては、突撃取材をするというコーナーがあり、たまたま玄関先を見てウチに来た…ということでした。

母はまだ私が小学生ぐらいの頃、紙粘土にハマっており、習いに行ったりして紙粘土でお人形を作るのが大好きでした。
結構紙粘土で色んな物を作っていましたが、母は陶器も大好きで、いつの間にか紙粘土が陶器に変わり、可愛いお人形を作っては窯で焼く為に窯元へ何度も通っていました。
たまたま近くが全国でも有名な陶器の地域で、それもラッキーだったと思います。
陶器のコーヒーカップや食器も、母は大好きで集めていました。
お人形の色付けも全て自分のセンスでやり、お人形作りを教えて欲しいという方、お人形を売って欲しいという方まで出てきました。
母は時折習いたい人に教えてはいましたが、作品は自分の子供みたいな物だから、と言って売ることは絶対にしませんでした。
しかしそのうち弟夫婦の子供、いわゆる孫の世話をすることが増え、教室はやめました。
それまで溜めたお人形達は、玄関に置いたり、門の所の塀の上に並べて接着剤で止めたりしていて、今回、それをみてテレビ局が来たのです。
私はカメラから身を隠すように、母が作ったものですと答えました。
レポーターは、是非ともお母さんから話を聞きたいの言うので、母が入院してることを伝えると、それなら作品だけでもいいから見せて欲しいと言われました。
母がこんな状態だし、断ろうかとも思いましたが、せっかく母が作った作品が記録に残るなら…と思い、取材を受けることに。
編集するとたった五分ほどのコーナーですが、母の作品を地元の方に見てもらえ、キレイな映像として残ったので、結果良かったのかなと思いました。


手術後から2日ほど経った頃、母はようやく目覚めてきました。
しかし目は開けてはいるものの、あまり視点は定まらず、話などは全くできませんでした。
頭の傷は、ちょうどヘアバンドをしているような感じで切った跡があり、大きなホッチキスの針のような物で止められているのがとても痛々しかったです。
体が寝た状態だと目をつぶっているので、少しでも体を起こして、目を開けさせようと必死でした。
ボーッとした目で宙を見つめ、顔はむくんでおり、それでも頑張って何かを見ようとしている母が、可哀想でなりませんでした。
手足は結構動いたりしており、マッサージなどもやってあげました。

手術から4日後の6月12日、関東から主人が休みを取って九州まで来たので、空港まで息子と迎えにいき、そのまま主人と一緒に母の病院へ。
主人は日本人ではないので日本語がわからないけれど、私の母の事が大好きでとても心配していました。
病室に着くなり母の手をとりキスをして、早く元気になって…と言いました。
母も主人の事が分かったようで、表情が穏やかになったような気がしました。

次の日、息子を主人に預けて一人で病院へ。
息子が居ない分、母の事に専念出来る!と足取りも軽やかでした。
病室に着くと、母は目を開けており、お母さん!と話しかけるとこちらを向いて目が合いました。

良かった、目が合うようになってきた!

驚いたことに、母の手を握って私の頬に持ってくると、優しくゆっくりとポンポンとしてくれました。
私は母と病室で二人きり、、と言うこともあって、思わず涙がぼろぼろと出てしまいました。
その時の気持ちを思い返してみると、小さな子供が親に甘えるような、ずっと恋しかった母にやっと会えたような、何とも言葉では言い表せない気持ちでした。
ベッドの横の椅子に座り、手を握りながら涙がぼろぼろと頬にこぼれ落ちるのを母は悲しそうな顔で見つめ、ゆっくりと手を動かして、私の涙をぬぐおうとしました。
母の目が、ごめんね…と言っているようで、涙が止まりませんでした。
その日、看護師さんが「お母さんの頑張りに感動しました!」と言ってくれてとても嬉しかったです。

それから数日間発熱し、38度台をうろうろして意識もうつろな感じでしたが、氷枕などで体を冷やしながら、母は闘っていました。

そんな毎日のある日、家で母の手帳を見ていた時、手帳の一番後ろに詩のようなものが書いてあるのを見つけました。
父に聞くと、母が倒れる半月前に、家で飼っていた猫が車にぶつかって死んでいたのを発見し、母とペット葬儀場に持って行き火葬してもらったそうです。
母は、その時ものすごく落ち込んでおり、今思えばその頃から、母の疲れが増したように思います。
火葬を待っている間、そこにあったカレンダーに書いてあった詩を、良いことが書いてある!と言って、母が手帳に書き写していたらしいです。

これを母は、どういう気持ちで書き写したのかな…なんて考えると、胸が苦しくなりました。

なかなか熱が下がらない母。
酸素マスクも付けさせられ、呼吸も体全体でしていてとても辛そうでした。
レントゲンを撮ってみると、肺炎を引き起こしていることが分かり、また寝てばかりの状態に戻ってしまいました。

その日から、私達家族は毎日、片道二時間弱の運転で、大学病院へ通いました。
弟は職場に母の事を報告すると、幸運な事に今は母の事を最優先にしてくれ、と言ってもらえたようで、自由に行動できました。

父は、13日にヘルニアの手術をする事が以前から決まっていましたが、母がこうなった為に父は今回、手術をキャンセルしようかと考えていたようです。
しかし、父はもう痛み止め無しでは歩く事もままならないようで、強い痛み止めで何とか誤魔化しているような状況でした。
弟夫婦には子供が二人おり、弟が病院に行ったりして大変なのを見かねて、同じ九州圏内に住む義妹のご両親が来てくれており、私の息子も含め、色々とお世話をしてもらっていました。
私達はこの際もう色んな人に甘える事にして、人手がある内に父に手術を受けてもらって、早く歩けるようになってもらおうと思い、父を説得して手術を受けさせることにしました。
手術して約二週間は入院予定。
義妹は仕事しながら、父の入院準備、手続きなどをやってくれて、「お義父さんの事は全て任せてください!姉ちゃんとパパ(弟)は、お義母さんの事をよろしくお願いします!」と言ってくれました。
その言葉が本当にありがたかった。

息子を連れて片道二時間弱のドライブ。
面会時間が14:00-20:00までなので、ギリギリまで病院に居たとすると、帰ってくるのは22:00前。
帰るともうクタクタで、お風呂に入って寝るのがやっと。
息子は帰りの車の中で寝る事が多かったです。
三才の息子を連れて、毎日病院に通うのは本当に大変でした。
病院に連れて行っても病室にずっと居なければならないので、息子にとっては地獄だったと思います。
でも病室でyoutubeを見たり、病室の外で遊んだりして、私達の状況が分かるのか、そんなに愚図って泣きわめく事もなく、本当によく我慢してくれました。
看護師さんもとてもいい方達ばかりで、息子の相手をしてくれたりして、息子も嬉しそうでした。

父はヘルニアの手術後は経過も良く、リハビリもこなし、二週間後に無事に退院できました。
父は退院したその日に、バイクで大学病院まで母に会いに行きました。
父は入院中、母に会いたくてたまらなかったそうです。

6月末あたりになると、私達もだんだん余裕が出てきました。父が復帰したので、私も父が病院に行く日は、もう母の所には行かずに息子をどこかに遊びに連れて行ったり、病院を抜けて近くのモールに遊びに行ったりしていました。

母の元には私達家族はもちろん、友達、親戚、沢山の人が来てくれて、大学病院に入院していた約1ヶ月、1日足りとも母が一人で過ごした日はありませんでした。
それは、入院してる今でもです。
特に母と仲が良く、朝から必ず家でコーヒーを飲んでおしゃべりして、一年の四分の三は一緒に過ごしていた近所のおばちゃんは、しょっちゅう病院に付いてきて、母の足をマッサージさしたり、体をふいてくれたりしてくれました。
おばちゃんが病院に行かない日は、毎日夕方になると我が家の洗濯物を取り込んで畳んでくれ、家の電気をつけといてくれたり、飼い猫にエサをあげてくれたり、ゴミの分別をしてくれたりと、本当にありがたかったです。
看護師さんからも、「家からとても遠いのに、こんなに毎日誰かお見舞いに来てる患者さん、見たことないです!」と言ってもらえました。
私達は正直、毎日クタクタでした。
でも、母に会いたくてたまらなかった。
母に寂しい思いをさせたくなかった。
母があまり分からなくても、側にいて手を握ってあげたかった。
その思いだけで、車を走らせていました。

家族が入院することなんてほとんどなくて、今回の事があってから色んな思いを経験し、沢山の人に支えられてるんだなぁと、改めて認識しました。