母が神経膠芽腫(グリオブラストーマ)に

母が神経膠芽腫(グリオブラストーマ)に

大好きな母が、神経膠芽腫(グリオブラストーマ)という脳腫瘍になりました。あの日から、家族全員の生活は一変し、分からない事だらけの中で手探りで看病をしています。病気になる少し前からの事を、拙い文章ですが私なりに書いていこうと思います。

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19日に一連の治療がおわり、転院前の最後の検査でMRIを撮りました。
結果は、腫瘍が明らかに広がっている感じは見受けられない、手術で腫瘍を摘出した部分も落ち着いている、というものでした。
転院するのに支障はなく、予定通り21日に転院することに。

お母さん、とりあえず6週間の治療が終わったから、少し楽になるね。
これで少しでも、食欲戻ってくれたら嬉しいけどなー。

テレビ電話で毎日話してる(一方的に)けど、私の事が分かっているような、分かってないような感じでした。

近所のおばちゃんが、食欲がない母の為に桃を剥いて持っていってくれましたが、何口か食べた後、オエッとしていたみたいです。

大好きだった桃すら、口にできないなんて。
あんなに食べることが大好きだったのに、楽しみがないよね、お母さん。
私が実家に帰る度に、一緒に美味しい物食べにいこうね!って、いつも言ってくれた。
母と一緒に食事するのが大好きでした。
あたしが美味しそうに食べるから、見てて嬉しいよって言ってくれた。
もう、母と一緒にどこかで食事することなんて出来ないのかな。
どうにかして食べさせてあげたかったけど、なかなか上手くは行きませんでした。

そうこうしているうちに、転院の日。
私は居ないので、父と近所のおばちゃんが付き添ってくれることになりました。
そのおばちゃんは、実家の斜め前に住んでいて、母とは40年来の友人です。
お互い特別な用事がない限りは、毎朝必ず9:30頃にウチに来て、二人でコーヒーを飲みながらお喋りするのが日課でした。
それから母の運転で買い物へ出掛け、お昼頃に帰ってくるルーティン。
母とのコーヒータイムは、小さい頃から見慣れた光景。
おばちゃんは、友人の中では誰よりも母の事を分かっていました。
あんなに毎日一緒に居たのに、突然こんな事になって、おばちゃんもショックだったと思うし、寂しいといつも言っていました。
母の事で分からない事は、おばちゃんがだいたい分かっているので、ホントにありがたい存在です。

父からメールが来て、転院が無事に終わったけど、またお願いしていた個室には満室で入れず、四人部屋になったと。
空き次第入れると言うことなので、それまで待たないとな。
今度の病院は、初めに母を診察して頂いた病院。
実家から車で10分ほどです。
随分、行きやすくなりました。

ここで、また母の戦いが始まります。

8月に入り、真夏の暑い中にも関わらず、母の元には相変わらず沢山の人々がお見舞いに来てくれて、母は体調の波はあるものの、話を聞いて笑ったりしていたようです。
やはり言葉が出ることはあまり無く、寝てる時間も増えてきました。
血糖値は安定してきたようで、毎日インスリンを打たなくても良くなりました。
鼻にチューブを入れたあと、食欲が回復する兆しはなかなか見えませんでした。

主治医からお話があり、8月19日に化学治療は終了すると。
それからMRIを撮り、異常がなければ21日に転院するそうです。

早っ!
19日に治療終わったらもう21日に転院?
ああ、そうか、ここでの治療はもう終わったから、出なきゃいけないってことね。

6週間、毎日抗がん剤と放射線で腫瘍を徹底的に叩いた。
今後は月に一度、抗がん剤を5日間服用する、という治療に切り替わるそう。
しかしそれはもう、この病院ではなく別の場所で。

この総合病院に入院する時に、主治医に言われたこと。

6週間の治療が終われば、もう他の施設に移っていただきます。
こちらで移転先は探しますが、この神経膠芽腫と言う病気は、なかなか受け入れてもらえる病院や施設が少ないので、受け入れ先がすんなり見つかるかどうかを懸念しています。

私もそこを心配していましたが、リハビリ施設などはやはり、社会復帰を目指す患者さんなどを優先的に受け入れているらしく、言い方は悪いけど、完治する見込みのない母を受け入れてくれる施設はなかなかありませんでした。
しかし病院側も頑張って探してくれて、最終的に母が一番最初に診察をしていただいた、近くの個人病院が受け入れてくれることになりました。
そこは個人病院ではありますが、介護施設なども併設しており、リハビリも積極的にやってくれる病院です。
そこの先生は物腰柔らかい先生なので、あたしもホッとしました。

転院先も決まりましたが、あたしの中で疑問が。
これ、、6週間の治療頑張ってってお母さんに言ったけど、、
まだ続くの?
ってゆーか、この抗がん剤はいつまでやるの?

また吐き気と戦う日々が待ってるのだろうか。
なんか、終わりが見えないんですけど。
でもとりあえず、転院してからまた先生と話し合わないと。

母に大きな変化は見られないまま、8月19日、無事に母の化学治療が終了しました。
お疲れ様、お母さん。
頑張ったね!

ホントにありがとう。


母の食欲はそれから戻る事はなく、日に日に食べる量が落ちていきました。
頭の中の水に、ガン細胞が溶け出していないかの検査も無事に終わり、結果は幸運なことに、溶け出してはいませんでした。

とりあえず安心したけど‥食欲がまた戻ってくれたらいいな。

テレビ電話で、こんにちは!と母に言うと、「○○ちゃん、こんにちは。」と久しぶりに名前を呼んでくれました。
あまり笑ったり、ペラペラ話したりはないけど、ちょっとした変化もちゃんと見過ごさないようにしないと。

そんな中、弟からメールが。
母に会いに行った時、母が「こんなに治療がキツイなら、生きていたくない」と言ったそうです。。
弟はとてもショックを受けたようで、母に「お母さん、キツイ思いさせてごめん。でも、お母さんに少しでも元気で長く俺たちの側に居て欲しいと思ったから、姉ちゃんと治療を決めたんだよ」と言ったらしい。

あたしはそれを聞いて、胸が張り裂けそうでした。
涙がとまらなかった、
ごめんね、ごめんね。
治療なんて本人は望んでないのに。
アタシ達のエゴだよね。
お母さん、そんなにキツかったのか。
だからもうご飯も食べたくないんだね。
でもだからといって、あたしにはもうどうする事も出来ず、この6週間が早く過ぎてくれるように祈る事しかできませんでした。

食欲が落ち、ご飯も3分の1ぐらいしか食べなくなったせいで、母の鼻にはまたチューブが入れられてしまいました。
せっかく食事できるー!と思っていたのにな。
でも、仕方ないね。
食べたくないものは食べたくない。
一番キツイのは、本人だから。

治療が終わったら、また色々食べようね、お母さん。

もう少し、耐えて。