今日は
阪神淡路大震災が起きた日ですね
あんまりいいお話?!ではないので
読みたくない方はスルーしてね
って何人の人がわたしゃのblogみてくれてるんだろ
なんか話してもいいかなって
思いまして…
私はこの頃中学生
ひゃーん年ばれる~また言ってる
私は大阪に住んでいました。
地震がおきたとき
ドーーーーーン
というすごい音
何が起きたのかわからず…
こわくてベッドから動けませんでした…
と、とりあえず
寝たふりをしようとしてました
私の母の祖父母は
神戸市の灘区に住んでいました。
結論から言うと…
即死です。
2人ともタンスの下敷きになりました。
まぁ、
2人で一緒に亡くなったことが
救いだったのかなぁなんて思います
連絡が取れない祖父母が気になり
私の両親は余震が続く中、
祖父母の家へ向かいました。
高速道路もつぶれ、家もあちこちつぶれ…
たどり着くのに大変だったそう。
家を見つけてびっくり
ぺちゃんこにつぶれたお家…
私はその場にはいませんでしたが、
何をどうすればいいか
きっとパニックだっただろうなと思います
自衛隊の人にこの中に人がいると
声をかけたみたいですが…
呼びかけても返事がない
どうしようもありません。
生きる見込みのある方から
助けに行くのは当然です
瓦礫をどけて
冷たくなった2人を見つけた時は
どんなにつらかっただろう…
私はその時
姉と近所の方のお家で
お世話になっていました
親から祖父母が亡くなったと電話。
姉は泣き崩れていましたが…
私は人様のお家にいるのに
迷惑かけちゃいかんと
なんかそんな風に思って
冷静を装いお友達と
普通にお話してました
姉に
なんであんた人が死んでるのに
泣けへんのよっ
て怒って言われて
なんかめっちゃ腹立ったのを
覚えてます
祖父母を連れて帰ってきた両親。
初めて亡くなった2人をみて…
ほんとに亡くなったんだ…
もう話ができないんだ…
そう思うと
もう悲しくて悲しくて…
めちゃくちゃめちゃくちゃ
その時にやっと泣きました
そして
そのまま私は
疲れて眠ってしまいました
その時に見た夢…
今でも忘れません。
祖父母の家が出てきて
お家の中の階段のところに
巻物が置いてありました
その巻物を開けると
周りがパァ~と明るくなりました。
読んでみると…
おじいちゃんおばあちゃんは
天国からみまもってるからな
と書いてありました。
しかも
そのメッセージ
おじいちゃんおばあちゃんが
読む声が聞こえたのです
そして目が覚めました
そして
お通夜では
お線香の煙が私の方に
スーーーーーっときてる
感じがしたんです
ここは勝手にそうかんじただけですが…
最後にちゃんとまた
お別れをいいにきてくれたのかな
っておもいました
2人とも下敷きになったから
心配したけれど綺麗なお顔でした
そして
お別れをした次の日から
母はいつも通りでした
またいつも通り過ごすよって言ってたなぁ…
母は強し
よし!私もいつも通りにしようと
お友達と元気にいつも通り過ごしてたら…
思ってたより元気やな
あんまり落ち込んでへんやん
って陰で言われてるの聞いて
ショックだったのも覚えてます
根に持つ~(笑)
おじいちゃんは大工さんで、
つぶれたお家も
おじいちゃんが建てたお家でした。
いつも遊びに行くと
木でおもちゃを作って
待っていてくれました
私はそんなおじいちゃんが大好きでした
生きてたらハンコの持ち手作り
お願いしたのに
おばあちゃんは背が高くて
でも腰がグッと曲がってて…
おばあちゃんがつくる
お正月の黒豆が大好きでした
いつも笑ってくれてたなぁ…
身内にこんな事がないと
記憶もうすれていっちゃうんだろうな…って
正直そう思います。
身内にこんな事があったのに
ちょっと薄れてきてる部分も
あるくらいですもの
でも一年に一度でも思い出して
今
生かせれていることに感謝
しなくてはと
自分の気持ちをピシッと
立て直すきっかけになります
そんなこんなで…
みなさん…
おやすみなさい
最後までよんでくださった方…
ありがとうございます