前回の続きを書きます。
(アスペルガーの友人が「もう普通の人として生きていくの嫌だ・・・」と言っていたお話の続き)
ここ1年ほどカウンセリングに通っていて、
ものすごく感じてることが、
「話を聞いてもらえる」という安心感です。
(カウンセラーさんって「気づかせ屋さん」だと思ってるんですが、
腕のいいカウンセラーさんって話を聞くだけで、
相談者の悩みに自ら気づかせて解決させてしまうらしいですね!(スギョ!))
例の私のアスペルガーの友人が聞き上手なのって、
むしろアスペルガーであるためにソーシャルトレーニングを徹底したからこそ、
定型発達の人以上にコミュニケーション上手になれたのかもしれないと思っています。
(学習能力の凄さはピカイチだろうし)
(これは私の憶測の話だから別に事実ではないけれど)
ほんと誰かが話を聞いてほしい・・・ってなってる時は、
本当に聞くだけの方がいいんだなぁって感じてて。
悩んでる人の立場に立って聞く、とか、そういう姿勢は大事だけど、
どうしたって本人にはなりきれないし、それで別にいいんだけど、
アドバイスしたり、私ならこうするとか言ってみたり、
辛いのはあなただけじゃないよ、とかさ。
なんか私は「えー・・・・」ってなることが多いです。
そんな感じのこと言われて「そっか、そうよね!」って切り替えられる人、
ほんとにそれでいいんですかー!って聞きたい(余計なお世話)
(内容にもよるか)
だから、彼女の「そうそう」が技術的に放り込まれてたことかも?
と気づいた時も、すごいありがたいなって思ったんです。
そんな風に話を聞いてくれて、ありがとうって。
(その時間の間、完璧に私のために彼女が存在してくれたことに変わりはないし。)
(いや、彼女は内容もしっかり把握してくれます。そして優しく理解を示してくれる。)
そして「もう普通の人として生きるの疲れた・・・」と彼女が漏らした時に
はっ・・・と思ったんです。
彼女はソーシャルトレーニングを受けた分、
今までコミュニケーションで困ることは実際ほとんどなかったと言いますが、
その分彼女の過ごしやすいコミュニケーション?はずっと封印されてきたのか?と。
自分のままで人と関わることができなかったのでは?と。
余計なお世話かもしれないけどね。
もしそうであるなら、それは人と関わるということ自体が、
自分自身の否定に繋がってしまっていたのでは・・・
と思ってしまったのです。
考えすぎかな・・・
私自身、ずっと他人軸で生きてきて、
(他人軸で生きてるということにも気づいてなかったけど)
いつも自分のことは(それどころじゃねぇ!)と、気に留めることができなくて、
いつもなんかしんどくて、
体調わるくて、
楽しいことが少なくて、
人生がほとんど曇りみたいな・・・
おっと、個人的愚痴が炸裂しそうです。
なんか最近すごい苦戦してるのが。
自分の感覚がわからない。ということ。
自分にとっての判断基準がわからないんですよね。
だから何かを選ぶのが、いつも誰かの正解を追おうとする。
しかも自分にうまくフィットしないから、心地よくもない。
でも自分がわからない。
なんのために生きてるんだろう。。。
気分が沈んだ時なんかはそんなふうに絶望してしまうことも少なくないんですが。
(なんか体は確かにあるけど、私の濃度なんてうすうすで空気に混ざって消え入りそう・・・)
それって自分が幼い頃に
「自分で選んだらダメだ!他人軸で生きないと!自分で選んだら否定される!傷つく!」
みたいに、言葉にしてはないだろうけど、
そんな風に「自分のままではダメ」って決めてしまったからなんじゃないかなぁって思ってて。
それが彼女のソーシャルトレーニングの話とリンクしたんです。
彼女のことを想ってトレーニングをした家族は間違いではないだろうし、
事実、彼女はコミュニケーションで悩むことはない人生だったと言うし。
それでも、本当の自分の気持ち
(なんでこう言わなきゃならないの?私はこう言いたいのに)
みたいなさ、そんな疑問と共に押し込めた「自分のまま」の気持ちは
たくさんあるんじゃないかなぁ。
って!!!!!
ほんと勝手な私の妄想なんですけどね!!!!!
趣味も年齢も価値観も
何も符合しない私たちが
10年以上、ベチョベチョらぶらぶカップルみたいに仲良いのって、
やっぱそういう深いところの傷が呼応するんじゃないかなぁって思います。
(共依存って言われたら嫌だけど(泣))
(いつまで彼女の話するかわからないけど、今日はここまでにします〜。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます・・・オチもなくてなんだか・・)