続きです。
正直、今考えると私の母は立派な毒親でした。
何も反論もせずに、というか出来ずに今まで過ごしていましたし、育児とはこういうものだという風にするべき。母親は好きなことをしてはいけない。すべて子供に尽くすべき。と考える人だったのでそうなんだなぁ。と思っていました。
しかし、カウンセラーの先生の口から
「もしかして、お母さん(私)ってしっかり愛情もらってなかった?」
と、一言。
私は年の離れた姉と兄がいます。私が、愛情を欲しい。わかってもらいたい。という時期(小学4〜5年くらい)その頃姉は大学で県外へ兄は高校生でこれから大学のお金や学費などが大変で母は朝早くパートへ行き、日中ほぼフルタイムのパートへ行き帰って来たら、父親と仕事の話。私の話を聞いてくれる人はいませんでした。父は、自営業をしています。
姉は高卒と同時に県外へ。兄もバイトで夜は居ず。
私は、現実逃避の為にゲームやマンガの世界にのめり込んでいきました。
全く今の娘と同じだなと。
離婚してから、息子と娘の為にと思ってしていた事が、裏目に出てしまっていたんだなと。
「親子のこの連鎖は、誰かが止めないと続いていく。」
と、カウンセラーの先生は言いました。
私で止められるといいなぁ。と思いつつ、親は親なので離婚してうつになった私を心配して毎月援助してもらったので簡単に引き離すことも出来ませんでした。
しかし、脱毒親!!という意気込みをした頃今度は母がうつになりかけていると…
私の事ではなく、父の事などでストレスがたまっていたのでしょう。
それから、姉と兄と話し合いをしてパートで時間も少ない私が母の面倒をみると言ってしまい。実家の自営業の手伝いを日中のパート後にすることに。
はじめは、母の具合が良くなればと思い始めた事でしたが、気づくと自分の家族との時間をすり減らしたんだな。と。
はじめてから、半年くらいですが娘や息子が留守番をしてくれる状態。
日中パートして、実家の手伝い。帰るのは5時〜6時ですがほとんどフルタイムみたいなものですよね。
そういえば、娘が小さい頃同じような時間帯で働いていた時がありました。
その時、娘は2年生。帰ってきてから一人で大泣きして「一人で寂しいー!!」と。
学童に入れてはいたのですが、うつ療養の時に学童まで迎えに行かなくてはならないというめんどくささとそこまでの体力が無く途中で辞めてしまっていたのです。
そのまま仕事を始めたら、この状態に。
その仕事は、娘の件と入ってみたらいろいろ違ったという件ですぐ辞めてしまいましたが。
とにかく、こんなに感情を出して泣いていた娘を見たのはこの時が最後かもしれません。
気づくと、私と娘との間に深い溝ができていることに気づきませんでした。