10月は一時帰国をしていました。
その時お友達と京都へ。
 
 
以前から行ってみたかった無鄰菴を訪問しました。
無鄰菴は明治の元老・山県有朋の別荘だった庭園です。
 

 

まず、係の方から説明があり、短時間でしたが、知らないことをいろいろ聞けました。

笑えたのが、山県有朋が苔嫌いで苔の代わりに芝生を植えたとの話。

 

 

なんです!?そのこだわり笑い泣き

 

 

しかも時が経つにつれて、苔も生えてきてしまっているので、それは自然のままにしてあるそうです。

 

あの世にいる山県有朋も気が気じゃないかとニヤニヤ

 

 

 

茶室もありました。

炉が切ってある位置がここということは、客から亭主の顔が隠れてしまう…???

どの位置に座るんだろうかキョロキョロ

 

 

 

 

10月中旬は葉っぱの色が変わり始めていて、グラデーションが綺麗イチョウ

 

 

 

 

そして、ロシアに関する発見がポーン

 

 

こちらの無鄰菴で1903年に『無鄰菴会議』なるものが開催されたそう。

 

 実は、無鄰菴の洋館では1903(明治36)年4月21日に日露戦争直前の日本の外交のゆくえを決める歴史的な会合が、伊藤博文、小村壽太郎、桂太郎、そして無鄰菴の施主 山縣有朋の4者で行われました。名付けて無鄰菴会議。” 

※無鄰菴HPより引用

 

 

 

 

この庭を歩きながら、山県有朋はロシアと日本の行く末を案じていたのね…と妄想スイッチが照れ

 

 

 

 

無鄰菴の印が入ったどら焼きとお抹茶も美味しゅうございました照れ

 

 

ちなみに…

最近読んでた日露戦争関連の本はこちら👇