いつもいりんを応援してくださり、ありがとうございます。
ブログ主、いりんの友人です。
彼女からの頼みを受け、代筆させていただきます。
3月5日、いりんは旅立ちました。
約4年の闘病生活、1度も諦めることなく戦い抜きました。
心の整理が追いつかず、ご報告が遅くなってしまいました。
正直なところ、未だに受け入れることはできていません。
最後の更新は長々とたくさん書いてくれと頼まれているので、ブログの更新が途絶えた後のことなどを書いていこうと思います。
最後の更新あたりから、いりんは自宅ではなく実家で過ごしていました。
腹水と足の酷い浮腫で補助無しでは歩くこともままならない状態でした。
私は2、3日に1度、お邪魔させていただいていました。
介護休暇のあけていた旦那さんがまた休みを取ってくれ、自分の傍にいてくれることを本当に喜んでいました。
亡くなる10日ほど前からLINEの返信もできなくなり、寝ている時間が多くなりました。
とても苦しいはずなのに、会いに行くと立ち上がってハグをしてくれたこと
「大好きだよ」「愛してるよ」とたくさんたくさん言ってくれたこと、言えたこと
頻繁に会いに行っていたのに、嫌な顔ひとつせず家にあげてくれたご家族には本当に感謝しかありません。
会いに行ってもいりんはほとんど寝ている状態でしたが、起きて話すことは弱音ではなく、「大好き」と「頑張る」という言葉ばかりでした。
どうしてあんなに強くて、頑張り屋で、誰よりも優しいあの子がこんなにも苦しい思いをしなければならなかったのかと今でも思います。
亡くなる数日前から痛みも感じなくなり、薬を飲む必要はなくなっていたそうです。
そうか、苦しくなかったんだなと正直安堵しました。
亡くなる直前のことは私には分かりません。
ご家族に聞く覚悟もまだ持てないのです。
ですがおそらく、大好きな旦那さんとご両親に見守られながら安らかに眠ることができたのではないかと思います。
3月6日には、私はいりんに会いに行く予定でした。
当日は午前中に会いに行く予定だからと、前日に少し遠出して手土産を買いに行っていました。
固形のものがほとんど食べられないいりんのために、ゼリーやプリンではない食べやすいものをと数時間かけて選びました。
その日買ったものは今でも開けることはおろか、見ることもできません。
いりんに食べてほしかった。
食べることが大好きなあの子に、美味しかったって喜んでほしかった。
店員のお姉さんに可愛くラッピングしてもらって、きっと喜んでくれると思って、家に帰ってすぐに旅立ったと連絡が来ました。
あの時の気持ちを、なんと表現していいのか私には分かりません。
間に合わなかった、食べさせてあげられなかった、また会えると信じていたのに会えなかった。
覚悟はしていたつもりなんですが、だめですね。
私はいりんとおばあちゃんになるまで一緒に生きるという約束をしています。
一緒にというのは叶えられなくなってしまったけど、彼女の分まで私はしぶとく粘って生きてみようと思います。
どこぞの縁側でお茶でもすすっていれば、きっと会いに来てくれるでしょうか。
いりんは生前、このブログのことを「自分の生きた証」だと言っていました。
自分の気持ちを整理するために書き始めたけど、
ブログをしていなければ患者会には行かなかったであろうこと、
いいねをもらえるととても励まされること、
周りの人に支えられていたことももちろんだけど、このブログが心の支えになっていたと。
これまでこのブログを通していりんを支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
いりんは病気を通して出会うことのできた方々に、応援してくださった方々に常に感謝を口にしていました。
この記事で最後にはなりますが、どうか温かいコメントを残してあげてくれると嬉しいです。
私が責任を持って、墓前で読み上げると約束をしています。
本当に長々と書いてしまいました。
取り留めのない文章を、ここまで読んでくださった方々に改めて感謝申し上げます。
最後に
いりんちゃん!
ずっとずっと大好きだよ!