3.11  震災から2年が経ちました。






私自身、大学4年の時に阪神大震災を経験。


思い返せば、2年前の当日は首都圏は交通機関が麻痺し、サラリーマンなど多くの人がターミナルや交通道路まであふれていました。




私は当日夕方5時に会社を出て、10時間以上かけて当時会社のあった渋谷から自宅のある横浜市へと歩いて帰っていました。途中、当日帰宅の確認できていない学生の親御様へ連絡がきていない、連絡がきました、今どこにいて今日はどこに泊まるなど、公衆電話を見つけては並んで連絡をして、ご安心していただいたことを鮮明に覚えています。





実は今日、私の知り合いの著名プロカメラマンが撮影した震災の記録を見る機会があり、実際TVなどでは見られない光景を目にし、これまでの2年間どれだけのご苦労をされて今日まで生きてきているかが身にしみてわかりました。




当時は風呂がなく、外で風呂窯にみんなで火を焚いてお湯を沸かして順番交代で入っている。もちろん食事もありません。キッチンや個室などもちろんありません。。。


当時の東京は被災しているわけではないのに、ガソリンスタンドには行列が出来、スーパーには牛乳や卵を買うために客が殺到している。ホント違和感を感じる雰囲気だった。また、被災地にボランティアをするためではなく、観光気分で訪れ、Vサインで記念撮影をしていく若い子たちが多いと聞き、正直驚きました。





現在の日本人の暮らしは贅沢になり、子供の育て方も昔と違ってきている。私は別にそれを否定するつもりはありません。




「自分のことばかりではなく、相手のことを思いやれる人間になってほしい。」


これは私の子供にもいつも言っていることです。




原発事故の影響が今も大きく残る福島県。私が所属する神奈川県内のラグビースクールでは普段練習が出来ない福島県のスクールの子供達を募金等でホームステイ形式で招待し、先月天然芝のグラウンドで招待試合を行いました。この様子はTVでも放送されましたが、その時の小学生の子供達の笑顔がとても印象的でした。




また、以前勤務していた会社では、利益の一部をベトナムのストリートチルドレンの子供達のための孤児院建設資金として寄付したり、社員旅行でベトナムのスラム街に行ったりもしました。これは日本人の生活が当たり前ではないということを社員やその子供達が知る機会にもなりました。




私も今、自分の会社の利益の一部を使い、東北の被災された方々への義援金や海外への寄付を通じ少しばかりではありますが、これからも貢献していこうと思うし、自分の子供にも日本のことだけではなく、諸外国のいろいろな情勢なども現地で伝えていければと思う。





来春も東北エリアから3名のお客様がご入居します。






がんばっぺ 東北。


ONE FOR ALL


ALL FOR ONE 






(事務局担当i.k)