アクセスありがとうございます。こちらは、調布の家庭教師CAT(chofu advanced tutors)です。7月11日からポスティングをはじめました。勝手に入れさせていただいております。もし不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら、この場を借りましてお詫び申し上げます。

 さて、いよいよ夏休みが始まります。旅行にいったり、友達といろんなところに遊びに行ったり、この夏はドラクエ!ってのもありですかね(笑)中高生では授業がない分一日中部活に打ち込めます。そして受験生はこの夏が勝負をわけるキーポイントになることでしょう。

 夏休みはそれぞれに予定があって忙しいことと思います。そうなると、午前中に塾の授業が入ったら行けないときだってありますよね?私たちCATの授業日程を決めるのは、担当講師とあなたです。私たちも現役の学生なので、それぞれに旅行にいったり部活やサークルがあったりするので、必ずしもご希望に添えるとは言えませんが、毎週この時間でかならず!なんてことは言いません。その日、その日の予定にあわせて柔軟に日程組みができます。

 この夏を有意義に過ごすためのお手伝いを致します!一人の講師の持てる担当の数も、ひとりひとりをしっかり見るために、あまり多くは致しません。また、講師数もある程度の限りがあります。私たちは電通大の学生有志で構成されているので、大手の講師派遣会社のように、電話が来れば必ずすぐに動きがとれるほどの潤沢な人材もありません。どうぞお早めにお電話ください!心よりお待ちしております。

 中学生の頃、国語の授業なんて日本語しゃべれるし、必要ないじゃん。って思ってたんですよね。実際そう思いませんか?けれども高校から大学まで進学して、今自分はそう思いません。やっぱり日本語はむずかしいです。実際、今の自分の座右の書は国語辞典だったりします。そんなことに思い至るのは、こうやってブログに記事を載せたり、文章を書くときです。

 自分の授業では、ボールペンとラクガキ帳を用意していきます。とにかく手を動かして書いて書いて書いて書いて・・・国語にしろ、数学にしろ、この方針は同じです。なぜそんなめんどくさいことをするか、もちろんわけありです。

 まず、指先は、神経の密集度がものすごく高いんです。有名なところで、「ペンフィールドのホムンクルス」というのがあります。大きな部分ほど末梢神経の密度が高いという画です。


調布の家庭教師CAT -ホムンクルス

↑ペンフィールドのホムンクルス

この画をみてわかるように、手を動かすことは脳に対しての刺激が大きいというのがひとつの理由です。とくに暗記物なんか効くらしいですよ。

 それから、文字を書くためには考えていることを言語化する必要があります。さらに、こと英語の文章なんかでは、logical structure (論理構造)も考えなくてはいけません。口語にくらべて文語では、雰囲気でごまかせない分きっちり言語化を考える必要があります。そんなとき、きっちり言語化できたものは、自分の中できちんと理解して整理分類ができている、体得したものなります。逆に書いていくなかで、頭の整理ができるケースもよくあります。そのうえ、書くときにはいわゆるキーワードが意識されるので、そのものの本質が見えてくるものです。実際、東大生なんかがトラブルシューティングをするときには、問題を紙にガンガン書き出して整理していくと、どこが根本的な問題点なのかがすぐに見えてくると言いますよ。

 また、物事を「考える」という行為は、多くの場合ことばを媒介にして行います。たとえば、なにか計算をして見ましょう。3X12を計算するとして、頭の中では、「さんかけるじゅうは30で、さんかけるには6だから、さんじゅうろくだ」なんていうふうに考えますよね。ここで、「で、」とか「だから、」なんていうことばを無意識的に使っています。計算だって数字だけではやらないんです。これを意識できることが、すなわち「言語化」された状態です。実際に考えが文章になってますよね。これが数字みたいにきっちりわかるものでなくて、なんとなく考えていることとか、なにかぽわっとしたものだったらどうですか。日本語化するのは思いのほか至難の業でしょう。

 自分は、本当に言語的な完璧を成せるのは神様だけだと思っています。完璧な言語が使えるならば、世の中のどんな現象も思考できるからです。n次元空間とか虚数空間とか言われたってなかなか想像できませんよね。昔話に「バベルの塔」なんてのもありますが、科学技術の進歩というのは明らかに人間があらゆることを可能にしていく、神様に近づいていく行為ではないでしょうか。そうであるならば、科学技術の進歩と同じように、言語能力も昔の人々に比べて進歩していってもいいですよね。実際、日々世界中で新しいことばは誕生しています。また、言語学の進歩にともない、いろいろな国のことばは、構造的な分類がほとんど出来上がっています。

 言語能力≒思考力を鍛えるのには、書くこと、つまり、考えていることを整理分類して、言語化することで、さらなる思考を可能にすること、これが最適だと思います。中高生のみなさん、テスト勉強はノート作りをやるのが、自分のオススメです。

 自分では、勉強を教える身であり、自身も勉強をする身であるので、勉強とはなんぞやということはよく考えるテーマではあります。読者のみなさんはいかがでしょう。だいたい中学や高校で勉強するのがめんどくさくなると「俺なにやってんだろ」って思ったりするんじゃないでしょうか。そんな学生さんや、そんな学生さんの親御さんには、勉強とはなんぞやということを見つめなおしてみてはいかがでしょう?

 辞書的な意味が必ずしもそれを正確に言い当てられるとは限りませんが、そのことばを知るひとつのエッセンスにはなると思います。実際に引いてみましょう。三省堂国語辞典(第4版)によると、『勉強』→①(能力や知識を得るために)心をはげまして、ならったり学問をしたりすること。②(将来の為の)経験。例→「いい勉強になった。」③ねだんを安くすること。だそうです。だいたい①の用法で使われていますかね。ここで注目するところは、一番はじめのところ、「能力や知識を」とあります。いわゆる学校でやるような「お勉強」は、おそらく知識の獲得についてですよね。しかし、辞書を引いてみても一番はじめに書いてあるのは「能力」です。ここで、「能力」を引いてみましょう。『能力』→ものごとをすることができる力。あくまでも「ものごと」です。この文脈なら、たとえば野球なんかで、ボールをより早く正確に投げれるようになるようにコーチに投げ方を教わること、これ勉強ですよね。

 しかし、まだ見ていない部分があります。「ならったり学問をしたり」です。まぁ習うというのは単に「真似ぶ」→「学ぶ」という語源を意識しただけだと思うんですが、ここで「学問」ということばに注目したいと思います。また辞書を引いてみましょう。『学問』→①いろいろな知識を学ぶこと、また習い覚えた知識。②新しい知識を得たり、知識を体系的にまとめあげたりしたもの。義務教育では主に①の用法で言われているようなことをして学問というのでしょうね。にしてもいろいろな知識ってなんだそれ(笑)大学の教授ってなにやってんのとか、研究って何なんて思ったことがある人は多いんじゃないでしょうか。この人たちの仕事が、②の用法にある 「知識を体系的にまとめあげる」ことだと一般に言われています。わかりやすく言うと、教科書の単元。この問題はどの単元に入るのかということを決めていく。そんなようなことです。ただし、その「問題」というのが、まだ誰も解けていないものだったりするわけです。これをして「新しい知識」とでも言っているのでしょうか。体系的にすでに完成されてしまった学問も結構あります。しかし、特に文系の分野でいえば、絶対に完成できないけど更新し続けてるようなものは多いです。たとえば、どんな教育をするのが最も効果が高いのかといったことなんかどうでしょう。絶対と言えるような「解答」はおそらくありえないですよね。あるいは歴史。人間が滅亡するまで人間の歴史は続きます。これが、学問だそうです。

 中高生なんかの勉強でも、この「体系的にまとめる」ということを意識することは、とても効率よく勉強できるひとつの方法だと思います。学校でやることのほとんどは、ある体系のなかにすでに組み込まれていることです。さきほど例にした投球法にしても、~投法みたいな名前がいろいろついていて、それぞれのやり方やメリット・デメリットが一覧になっているようなものは、本屋の一角を占めていますよね。今やっていることはどういう位置付けされたものなんだろうか、今までやってきたこととどんなつながりがあるのだろうか。つまり「俺なにやってんだろ」ということをつきつめて考えてみること。これってとても大事だと自分は考えています。変な話、つきつめて考えるのにどんな方法が効率いいだろうか、ってことをつきつめて考える学問もあるんですよ(笑)

 そんな体系なんて言われてもわかんない!という方。自分らはそんなあなたのためにこういう仕事をやらしてもらっています。ぜひお電話ください。(笑)