中学生の頃、国語の授業なんて日本語しゃべれるし、必要ないじゃん。って思ってたんですよね。実際そう思いませんか?けれども高校から大学まで進学して、今自分はそう思いません。やっぱり日本語はむずかしいです。実際、今の自分の座右の書は国語辞典だったりします。そんなことに思い至るのは、こうやってブログに記事を載せたり、文章を書くときです。
自分の授業では、ボールペンとラクガキ帳を用意していきます。とにかく手を動かして書いて書いて書いて書いて・・・国語にしろ、数学にしろ、この方針は同じです。なぜそんなめんどくさいことをするか、もちろんわけありです。
まず、指先は、神経の密集度がものすごく高いんです。有名なところで、「ペンフィールドのホムンクルス」というのがあります。大きな部分ほど末梢神経の密度が高いという画です。
↑ペンフィールドのホムンクルス
この画をみてわかるように、手を動かすことは脳に対しての刺激が大きいというのがひとつの理由です。とくに暗記物なんか効くらしいですよ。
それから、文字を書くためには考えていることを言語化する必要があります。さらに、こと英語の文章なんかでは、logical structure (論理構造)も考えなくてはいけません。口語にくらべて文語では、雰囲気でごまかせない分きっちり言語化を考える必要があります。そんなとき、きっちり言語化できたものは、自分の中できちんと理解して整理分類ができている、体得したものなります。逆に書いていくなかで、頭の整理ができるケースもよくあります。そのうえ、書くときにはいわゆるキーワードが意識されるので、そのものの本質が見えてくるものです。実際、東大生なんかがトラブルシューティングをするときには、問題を紙にガンガン書き出して整理していくと、どこが根本的な問題点なのかがすぐに見えてくると言いますよ。
また、物事を「考える」という行為は、多くの場合ことばを媒介にして行います。たとえば、なにか計算をして見ましょう。3X12を計算するとして、頭の中では、「さんかけるじゅうは30で、さんかけるには6だから、さんじゅうろくだ」なんていうふうに考えますよね。ここで、「で、」とか「だから、」なんていうことばを無意識的に使っています。計算だって数字だけではやらないんです。これを意識できることが、すなわち「言語化」された状態です。実際に考えが文章になってますよね。これが数字みたいにきっちりわかるものでなくて、なんとなく考えていることとか、なにかぽわっとしたものだったらどうですか。日本語化するのは思いのほか至難の業でしょう。
自分は、本当に言語的な完璧を成せるのは神様だけだと思っています。完璧な言語が使えるならば、世の中のどんな現象も思考できるからです。n次元空間とか虚数空間とか言われたってなかなか想像できませんよね。昔話に「バベルの塔」なんてのもありますが、科学技術の進歩というのは明らかに人間があらゆることを可能にしていく、神様に近づいていく行為ではないでしょうか。そうであるならば、科学技術の進歩と同じように、言語能力も昔の人々に比べて進歩していってもいいですよね。実際、日々世界中で新しいことばは誕生しています。また、言語学の進歩にともない、いろいろな国のことばは、構造的な分類がほとんど出来上がっています。
言語能力≒思考力を鍛えるのには、書くこと、つまり、考えていることを整理分類して、言語化することで、さらなる思考を可能にすること、これが最適だと思います。中高生のみなさん、テスト勉強はノート作りをやるのが、自分のオススメです。