*この話は高麗編の時系列とは関係のない小噺です

 
「お母さ〜ん 私 コーヒーが飲みた〜い」
 
 
ポジャギに口を突っ込んで
ウンスが叫んでいると
カサッと音がして
振り向くとトギが立っていた
 
 
トギ いらっしゃい
もしかして今の見た?
 
 
やだ 恥ずかしいわ
でもね 心配しないで
ほらっ 目も潤んでないし
胸が痛むこともないの!


ううん 気にしないで こっちの話だから


今日は高麗で暮らす私にとって
記念すべき日になるわ!
 
 

ねえ トギ

 

 

この前一緒に

紅餅から口紅を作ったでしょ

 

 

あの時

紅の沈澱を待つ間

トギが淹れてくれたお茶

覚えてる?

 

 

そうそう

いろいろブレントしたハーブティー

 

 

あのお茶の中に

微かに懐かしい香りがあったの

芳ばしい香り

 

 

でも

この時代の高麗には

あるはずのない飲み物


 

それは コーヒー!



大好きで

毎日飲んでたの

天界の私が住んでいたソウルでは

アメリカーノって呼んでいたわ



ほろ苦くて

少し渋みもあって

芳しい匂いの

琥珀色した

素晴らしい飲み物よ



眠気覚ましや  浮腫み改善にもなるし

肥満予防や  美容にも効果的なんだけど

 

 

私がコーヒーを飲む一番の目的は

なんと言っても

リラックス効果!

 

 

あの香りを嗅ぐと

気持ちが落ち着いて

ほっとするのよ

 

 

だからコーヒーは

ストレス社会で生きる私には

必需品だったの

 

 

天界の家にはね

美味しいコーヒーを淹れる

コーヒーサーバーも置いてたのよ

まだ2回しか使ってなかったけど…

 


有名なバリスタが豆を厳選したっていう

ブレンドコーヒーをそれでドリップすると

芳ばしい香りと深い味わいの

最高のコーヒーが飲めるの

 

 

あ〜

思い出しても

コーヒーの香りがしてくるようだわ

 

 

まあ

高麗に来てからは

すっかり忘れてたんだけど…



百年前もそう

生きていくのに必死で

嗜好品を楽しむ余裕なんてなかったな

 

 

ほら 私

四年前はここでも

いろいろ忙しくしてたじゃない?!

 

 

キチョルに攫われたり

徳興君に狙われたり

江華島を旅したり

手術をしたり

解毒したり…

 

 

とにかく

忙しかった

 

 

ゆっくりお茶を楽しむなんて

なかなかできなかった

 

 

そう思うと トギぃ

 

 

時々

チャン先生が淹れてくれたお茶は

美味しかったわね

ほっとして癒されたわ

 


この前トギが淹れてくれた

ハーブティーを飲みながら

いろいろ

過去に想いを巡らせていたの

 

 

そしたらね

優しくて 爽やかで

少し若い草のような香りの中に

あの芳ばしい香りを見つけたわ!

 

 

それで

コーヒーの存在を思い出して

どうしても飲みたくなっちゃったってわけ

 

 

あの時

微かに感じた懐かしい香りが

私の脳に刺激を与えて

すっごくいいことに

気がついたの

 

 

コーヒー豆が無くても

コーヒーは飲めるってこと!

 

 

確かに

本物のコーヒーと比べたら

ちょっと違うと思うわよ

 

 

でも ここじゃ

本物と比べることもないし

この代用品でも

きっと私

満足できると思うわ

 

 

それに

コーヒーのことを考えるなんて

気持ちに余裕がでてきた証拠だと思わない?!

 

 

えっ?

もったいぶってないで

その代用品を早く教えろって?

 

 

もう急かさないでよトギ〜

 

 

私は今日 再び

コーヒーを味わえると思うと

その感動と喜びで

昨日は興奮して

眠れなかったのよ

 

 

まあ

ヨンが寝かせてくれなかったって

こともあるけど…

 

 

とにかく

すっごくこの日を

楽しみにして

トギが来るのを待ってたの!

 

 

じゃあ 発表するわね

ジャジャーン!






見て! トギ! これよ!

 

 

えっ?

ただの  たんぽぽの根じゃないかって?

 

 

そうよ たんぽぽの根よ

ただし

ただの  たんぽぽじゃないわ

 

 

コーヒーになる〝たんぽぽ〟よ!

 

 

落ち着いて考えると

天界でも

たんぽぽコーヒーってあったわ

 

 

私 これでもリケジョなのに

なんで今まで

思い出さなかったのかしら

 

 

たんぽぽにはね

クロロゲン酸化合物が含まれてて

これがコーヒー豆にも含まれているから

コーヒーに近い風味がするの!

 

 

この前トギが淹れてくれたお茶にも

たんぽぽ 入ってたでしょ?

 

 

やっぱり!

私の鼻 いい仕事してるわ!

 

 

それでね

あの後

この日のために

たくさんのたんぽぽを摘んだのよ






たんぽぽが強い雑草で

あちこちに生えてる

手に入りやすい草で

本当によかったわ!

 

 

ヨンも手伝ってくれたし

テマンなんて

山ほど抱えて持ってきてくれたの

 

 

ねえ トギぃ

 

 

テマナって

山のことも 草のことも

ほんとに詳しいし

なかなか器用だし

とっても優しい子だから

いい旦那様になると思わない?

 

 

ちょっとトギ

なに急に怒りだしてるのよ

 

 

テマナの結婚相手が誰かなんて

私 一言も言ってないでしょ

なんでトギが怒るの

 

 

やだ

ますます拗ねちゃった

 

 

別に揶揄うつもりじゃなかったの

トギ ミアネ〜

 

 

でも そんな苛々した時こそ

美味しいお茶でリラックスするに限るわね

 

 

気持ちが落ち着いて

癒されるもの

 

 

じゃあ早速

コーヒーを淹れていきましょ

 

 

この前

よく晴れた日に

下準備しておいたのよ

 

 

摘んできた たんぽぽの根っこを

しっかり洗って

適当な長さにカット

 

 

灰汁が強いから

しばらく水に晒して

しっかり灰汁抜きしたら

さらに細かく細かく裁断して

数日 天日干し

 

 

そして

しっかり乾燥したものが

これよ!

 

 

そうね

ここまでは

たんぽぽ茶の作り方と似ているわ

 

 

トギのたんぽぽ茶は

根っこだけ?

葉も入れてるの?

 

 

なるほど

そのままだと少し草っぽいから

他の生薬とブレントしたんだ

 

 

流石 トギね!

 

 

この前のハーブティー

ほとんど癖がなくて

美味しかったもの!

 

 

へえ

乾燥させずに生の根っこだけでも

お茶として飲めるんだ

 

 

えっ?

乾燥させた根っこは漢方薬になるの?

 

 

なるほど

蒲公英(ホコウエイ)っていう漢方ね

どうりで

たんぽぽコーヒーも体にいいはずだわ

 

 

やっぱり

薬草の知識はトギが一番ね!

 

 

たんぽぽ茶との違いは

ここから

乾燥させた根っこを焙煎することよ

 

 

今から

この根っこの粉末を

煎じて風味を出すわね

 

 

見てて

とってもいい香りがするから

 

 

あ〜

最高!

久しぶりのコーヒーの香りよ〜

 

 

少し多めに煎じておけば

しばらく

たんぽぽコーヒーを楽しめるわ

 

 

さあ

あとはこれを布に入れて

お湯でドリップすれば

出来上がりよ!

 

 

「なんとも

 芳ばしい匂いですね」

 

 

「あらヨンア!

 ちょうどいい時に来たわね

 

 今からコーヒーブレイクよ!」

 

 

 

***

 

 

 

生果房から軽食代わりに届いた

菓子を添え

ウンスとトギに

ヨンとテマンも交え

コーヒータイムを楽しんだ

 

 

「どお?

 初めてのコーヒーは」

 

 

ヨンは考え込むような顔をして

黙り込み

トギとテマンは顔を顰めた

 

 

「ヌナ 苦い…」

 

 

テマンが遠慮がちに本音を漏らすと

ウンスは嬉しそうな笑顔を見せた

 

 

「そう!

 それでいいのよ!

 間違ってないわ

 コーヒーは苦味があるの

 つまり

 うまく出来たってことね!」

 

 

ウンスは深呼吸して

自分用に少し濃く淹れた

たんぽぽコーヒーの香りを堪能した






そして ついに

三人が見守る中

ウンスは

琥珀色の飲み物に口をつけた

 

 

「ん〜 美味しい!

 あ〜 嬉しい!

 しあわせ〜!


 高麗でコーヒーが飲めるなんて

 思ってもみなかったけど

 なんでもやってみるものね

 十分 イケるわ!

 

 あっ!

 そうだわ

 コーヒーがイケるなら

 アレもイケるかも!

 うふふ」

 

 

コーヒーをうっとりと味わいながら

また何か思いついたのか

目を輝かせ しあわせそうに笑うウンスを見て

ヨンも嬉しく思ったが

ひとつの疑問が浮かんできた

 

 

イムジャは

こんなに黒くて苦い飲み物を好み

手間を惜しまず

わざわざ作るほどなのに

何故

同じ黒くて苦い薬湯は

飲めぬのか?

 

 

「イムジャ

 この〝こーひー〟とやらがお好きなら

 毎日 薬湯も飲めるのではありませんか?

 

 まだイムジャは

 食欲も体力も足りぬゆえ

 たんぽぽの根だけでなく

 体にいい薬湯を

 トギに煎じてもらった方が

 よいのでは?」

 

 

「ちょっとやだヨンア

 せっかく

 この香りと苦味の余韻を楽しんでるのに

 恐ろしいこと言わないで

 

 薬湯とコーヒーは

 全然 似てないから!」

 

 

コーヒーが口に合わないトギとテマンが

別の茶を淹れ直すため

席を立っても

ウンスは気分を損ねることもなく

ヨンに説いて聴かせた

 

 

「あのね

 コーヒーは大人の飲み物よ

 しかも

 ロマンチックな逸話もあるの!」

 

 

そう言ってウンスは

ウィンクした

 

 

またイムジャは

愛らしい仕草をなさる

 

まあ 今は俺しか見ておらぬのでよいが

 

 

「イムジャ

 酒でもないのに

 飲み物に大人や子どもがあるのですか?

 

 〝ろまんちっくな逸話〟とはなんです?」

 

 

「昔 大食国の偉い僧侶が

 懸想する心を忘れた哀れな男に

 痺れるような香りいっぱいの

 琥珀色した飲物を教えてあげたの

 

 するとね

 

 心がうきうきして

 不思議な雰囲気になって

 たちまち若い娘に懸想したのよ

 

 それくらいコーヒーは

 情熱の香りがする魔法の飲物なの」

 

 

「これを飲むと

 懸想がはじまるのですか?!」

 

 

そんな危険なもの

イムジャに飲ませるわけにはいかぬ

 

 

「それはもののたとえよ

 

 懸想が始まるほど

 素敵な気分になる

 素晴らしい飲み物ってこと

 

 それにね

 

 倭国では

 男女が一晩共に過ごす時の

 誘い文句なの

 

 〝夜明けのコーヒーを一緒に飲もう〟

 

 そう言われたら

 つまり

 あなたと致したいってことなのよ

 

 コーヒーは

 男女が契りを交わした後

 一緒に味わうものの代名詞にされていて

 粋な詩にまでなってるの

 

 だから大人の飲み物ってわけ

 

 でも

 薬湯を飲もうって誘われても

 絶対に致したいなんて思わないわ」

 

 

これにヨンは敏感に反応した

 

 

そうか

こーひーは

夜伽が終わた際に飲む物か



つまり

この〝こーひー〟は

致す前の夜伽の合図!



ということは

イムジャがこれほど〝こーひー〟を喜ぶのは

俺と契りたいと願う心の表れ


 

逆に考えれば

これを用意しておけば

イムジャは飲む前に

契ってくれるということだな

 

 

よし

これからは毎晩

寝台に就く前に

必ずこーひーを用意しよう

 

 

そうだ

たんぽぽの根も

切らさぬようにしなければ

 

 

 

***




はじめは

コーヒーを美味いと

思っていなかったが

ウンスと共に

〝夜明けのコーヒー〟を

頻繁に飲んでいるうちに

そのほろ苦さと芳ばしい香りが癖になり

すっかり気に入った様子のヨン



ウンスは思った



焼酎党のヨンでも

好きになったんだから

たんぽぽコーヒーも

絶対ヒット商品になるわ!



しかも

材料費もかからないし

高麗人は苦い薬湯を飲み慣れてるから

きっと直ぐに

コーヒーの味にも慣れて

病みつきになるはず


それに なんといっても

〝恋に落ちる情熱の香り〟

〝夜明けのコーヒー〟っていう

色っぽいキャッチコピーがあるもの



年頃の男女が

飲みたがるだろうし

愛し合う大人たちの

秘事の合図だって思ったら

みんなこぞって買いにくるに決まってる!



うふふ

やっぱり私 商才があるわね!



これで

財閥への道 ますます  まっしぐらだわ!




***



 

こうしてヨンは

せっせと  たんぽぽの根を

持ち帰ってくるので

ウンスは高麗でも

コーヒーを楽しむことができた

 

 

ただし

朝のモーニングコーヒーや

午後のコーヒーブレイクではなく

 

 

「イムジャ

 こーひーを飲みたくないか?」

 

 

やたらと日暮れから夜半にかけて

ヨンから尋ねられるウンス

 

 

「ええ いい香りね

 いただこうかしら」

 

 

「ではイムジャ 寝台へ」

 

 

「はっ?」

 

 

ウンスの同意を得たと解釈したヨンは

芳ばしい香りを嗅ぎながら

コーヒーを飲む前に

嬉々として

ウンスを寝台に引き摺り込んだ

 

 

 

***




「はぁ はぁ…」
 
 
二人は寝台で脱力し
まだ肩で大きく息をしながら
ウンスはヨンに抗議した



「もうヨンア!

 せっかくのコーヒーが冷めちゃったじゃない」

 

 

「大丈夫だ

 また温めればよいだけのこと

 

 それよりイムジャ

 今夜は  たっぷりこーひーを用意しておる

 どうぞ御覚悟を」

 

 

「はっ?」

 

 

そう言うとヨンはまた口づけながら

ウンスの身体を寝台に倒していった

 

 

コーヒーはすっかり冷え切ったが

ウンスが飲めるのは

まだまだ先になるのだった

 

 

 

***




昔 チェヨンに拐われて

泣く泣く開京に連れて来られた時



「お母さん 私 コーヒーが飲みたい」



ぽつりと呟いた途端

涙が溢れたウンス

 

 

今でも母は恋しいが

高麗でも同じくらい愛しい家族ができ

共に味わう  この  たんぽぽコーヒーが

私のコーヒーの味だと感じた時

ウンスはすっかり

自分が高麗の人になったと気づくのだった

 

 

今では

コーヒーを嗜む習慣がついたヨン

 

 

今夜もウンスを後ろから抱きしめ

耳元で甘く囁きかけた

 

 

「イムジャ

 こーひーを共に飲まぬか?」

 

 

 

***




致した後の

気怠くも幸せな疲労感を癒す

たんぽぽコーヒー

 

 

ノンカフェインだったので

心地よく眠りに就けることも

貴重な効能であった




***