私の父は キレると見境なく怒る人で

そんな父が大嫌いだった悲しい

人の悪口をよく言う人で 良いところを探すと

言うよりも アラを探して 悪口を言う

でも 最初の頃に書いたように

宗教をやっていたから 親不孝は御法度‼️

そして 親のことを悪く思うのも御法度‼️


リビングに父が居るのが嫌だった

怖くて いつ怒り出すかわからないから

同じ部屋にいると くつろげなくて

緊張した自分がいた

父の家系は みんな 頭に血が上ると

見境なくキレる‼️

良い子でいないといけない❗️

人のことを悪く思ってはいけない❗️

親だから大切にして

親孝行をしないといけない❗️

そんな子ども時代だったなぁ悲しい


幼稚園の時 5歳で

円形脱毛症になってしまった驚き

あの頃は 幼稚園に行くと

いじめっ子軍団にいじめされ

理由は 「こいつ絶対泣かないから

泣かせようぜ」と言われていた

家に帰って来ると 6歳と5歳離れていた

2人の兄から からかわれる

兄「1+1は なーんだ?」

私「1」

兄「違うし 2だし ばーか ばーか」

大笑いをしてバカにする兄2人驚き

母は 好きだったけど

ヤクルトおばさんをやっていて

早く出勤したい母

いっぽう 幼稚園に行きたくなくて

お腹も空いていなくて

ご飯を食べるのが嫌で無気力

もたもた ゆっくり食べる私に

「早く早く❗️早く食べなさい❗️」

これが毎日で 大人になった今

母の気持ちは分かるけど

当時の私は辛かった爆笑

あの頃の「早く❗️早く❗️」は忘れられない

結局 心が休まる時がなく‥

かくして5歳児にして ハゲるという現象驚き



3年生の時 引越しをした

初めての戸建での暮らし

自分の部屋も出来たクラッカー

転校したから 不安もあったけど

頑張ろう‼️と思って 自分を奮い立たせ

通う日々凝視

でも 夏休み前には

母が居なくなってしまったガーン

直腸癌になり 入院驚き

そして医師からは 余命宣告真顔

癌は 中期から後期に入るところだった

今でいう ステージいくつなんだろう?

癌を取り除くけど再発が起こりうるから

余命2年とのこと驚き

お母さんが死んだらどうしょう‼️

毎日毎日 毎瞬 心配だった爆笑


家事をしたことない父が

ご飯を作るようになった

メニューは おにぎりと味噌汁

毎日毎日そのメニュー

話合いで 長男の兄がお茶碗洗い

次男兄が 洗濯

私がトイレ掃除💦

ある日 父に呼ばれて

リビングで話合いになった

母が手術したけど 失敗して

生きるか死ぬかの瀬戸際で

なんとか死なずになったけど

また手術のし直し それでも

余命の保証が言えないと医者から

言われたと 父が大泣きを始めて

私も 思いっきり泣いてしまった

いつもは 部屋で こっそり泣いていたけど

父は 私を抱きしめて 2人で泣いた

兄2人は 泣くのを我慢していたように見えた


つづく