先日、上の娘の児童手当の現況届を提出しに役所まで行って来た。

わざわざ足を運んだのには、不明点を確認したかったからという点と、

駅より近くに役所があるのに、切手を貼るのがもったいないというこの二点が理由である。

だが意外とハンドキャリーの人は多い。

倹約家なのは私だけではないようである。

 

さて、自分の番が回って来て窓口の人と話していると、保活の時に大変お世話になった方が挨拶してきて下さった。

私はかつてこの役所で2時間ほど熱心に保育園に入るためにあれこれと質問した過去がある。

 

至極親身に丁寧に担当してくださったその方は

芸人の天津・向似の方で、特徴的過ぎて忘れようにも忘れられない方である。

 

その向氏は私の突き出た腹を見て

「お母さん、妊娠されてますよね?」と一言。

妊娠も8ヶ月目が差し迫り、いよいよ目立って来たんだなあと思いつつ、

そうなんです、と返事をすると

保育園と役所に申し出ていただく必要がある』という旨を教えて下さった。

 

要約するとこうだ。

 

・今は標準時間で保育園を利用できている

・産休・育休になると就労と扱いが変わるため、役所ではそれを把握する必要がある

・産休・育休になると保育時間が標準時間から若干短縮される可能性がある

・産休に入るころに申請して欲しいが、それが滞り、会社からの申請で遅れて発覚した場合、本来短縮すべきであった保育時間よりオーバーした時間を延長保育とみなし、追加の保育料を遡って請求することがある

・手続き方法としては、産休に入った頃、下の子の母子手帳を持って役所にくると言う事、またその時に復職(予定)証明書を渡すので、それを会社に記入して貰って提出して欲しいとの事

 

と言うようなことだった。

細かいことは自治体によって異なるので各々で確認して欲しいが、

私の住む地区ではこのようなルールのようだ。

 

冒頭でお気づきの通り私は倹約家(という聞こえのいい言葉を選んではいる)なので

延長保育料がかかるかもしれないというところでかなりビットが立った。

私の場合、現在9時〜16時の時短勤務なので標準保育時間の扱いとなり、

7時〜18時までは延長料金なしで預けることが出来る。

だがこれが産休になると、園によるらしいのだが

私の場合は8時〜16時の保育時間となり、それを超えての預け入れ・お迎えは延長保育扱いとなるようである。

 

なんということ。

これを知らなければ産後の肥立ちもままならない頃に延長保育が請求され、文句をいいたくても役所に行く気力がないまま泣き寝入りする可能性もあったということだ。

役所関係の手続きは本当に無知が命取りだ。

天津・向氏には本当に頭が上がらない。

 

保育園の先生には面談の機会があったのでその時に申告済みだったが

保育園→役所への通達のタイムラグがあることもしばしばだそうで。

役所の方も働くお母さんがいつ妊娠したかわからないから申告して欲しいというものだった。

 

母子手帳は向氏の在籍する役所で発行しているのだから役所が妊娠を把握していないのはおかしいよなあという思いもあったが、追加請求されるリスクヘッジが出来たと言う思いでホクホクしていたので見て見ぬ振りをしてその場を去った。

 

当然、倹約家の私は、復職予定証明書もハンドキャリーで提出するであろう。

その時もまた向氏がきっと、にこやかに対応してくれることであろう。

 

この記事をたまたま目にされた方々のお役に立てれば幸いです。

 

 

2017年のある秋晴れの日。

私は30数年生きてきた中で、

間違いなく一番思い出深いであろう

その日を迎えた。

 

娘の出産である。

 

その日、

娘はようやくこの世に生を受け、

私といえばあわやあの世に行きかけた。

今となっては昔の話であるが、そういった経験も後々、綴っていければいいと思う。

 

 

思えば20代の頃は、

仕事に遊びにと自由気ままで、

早くに子供を持った親友に

「本当に自分の子が可愛いと思えるのか」

といった質問を幾度かしたものである。

 

あの頃の私に教えてやりたい。

 

 

「私の生きる意味こそ、娘そのものだ」と。

 

 

そんな私は大学卒業後、

一度の転職を経て今の会社に入った。

誰でも知ってる企業の子会社だが、どんな仕事内容なのか説明するのはちょっとめんどくさい。

BtoB 、BtoC 両方であるが、

私の会社は前者であるし、

まして目に見えない商材も扱うので、

余計ピンとこないのであろう。

 

私は友人に職種を聞かれていたら

「営業」ということしか殆ど答えなかった。

たまにわかりやすく説明しても、

私が口巧者でないこと、加えて

多少の専門知識を必要とすることから

友人の目には「?」が浮かび、

あ〜やっぱり説明するんじゃなかったと

憔悴したものだ。

 

まあとにかくそんなよくわからないことをやっている会社に転職し、

安野モヨコの「働きマン」と自分を重ねてみたりしながら紆余曲折を経験し、

時には同僚と週末深夜のカラオケで

ケツメイシの「闘え!サラリーマン」をオシボリ振り回しながら歌い、

昔はクレヨンしんちゃんを主人公の目線で見ていたけど、最近はヒロシの目線で見てしまうなァなどと、架空の中年男性に勝手に共感したりしながら働いてきた。

 

気がつくと29歳になっていた。

 

我が社には若手が多いこと、

私がたまたま入社が早かったこと、

周りの協力と運があって私自身それなりの成果を残せて来たこと、

そんな条件が重なって、管理職試験を受けられる運びとなり、また運良く受かることができ、

当時、その謎企業子会社初の女性管理職となった。

 

大学の就活の時、

何をやりたいか考えたりしたが、

夢や具体的になりたい理想像はなかった。

当然、

入りたい企業や職種も定まっていなかったが、

「自分は営業になる」「向こうが霞むくらい広いオフィスで働きたい」と漠然と思っていた。

 

また今思えば妄想とほぼ同意だが、

自分は仕事もできるし

何かしらのリーダーになると信じていた。

 

昔は占いの類もそれなりに信じていて、

流行りの九星気学とかどうぶつ占いなんかでも

その殆どに

「リーダー気質」とか「周りを引っ張るタイプ」と書かれていたりして、ますます気合いが入ったものだ。

 

そんな私が30歳を前に管理職となった。

とても有り難く、襟を正す思いがしつつも、

「やっぱりな」という思いもどこかにあった。

恥ずかしながら、甚だ身の程知らずである。

 

管理職になるまでにも、

2〜3人の小規模なものから

15人ほどを束ねるグループまで、

リーダーを任されたりしていた。

しかし管理職となると訳が違う。

まず給与が違う。

これはサラリーマンにとって大きな尺度だ。

それから権限が違う。

色々な書類や申請などに対して決裁権を持つようになった。

人事採用などにも携わったりした。

 

そうこうしている最中、30歳になった。

昔、尊敬する女性が「30になったら、やっぱり違うよ」と言っていたのをずっと覚えていたが、

誕生日当日のその日も、いつもと変わらず

遅くまで残業していた。

当然、管理職なので残業手当は出ない。

そんなことはどうでもいいのだが、

30歳になったその瞬間、

雷にでも打たれたかのように

「あ。結婚しよう。子供作ろう。時間がない!!」

そう思ったことをよく覚えている。

そして何を焦ったか私は、

その誕生日当日、残業を終えて帰宅後、

24時からランニングを開始した。

取り憑かれていたと言っても過言ではないほどの奇行である。

 

社会人になってから少なからず培って来た合理的かつ定量的な思考法を駆使し、

女としての、いや母になれるリミットを計算した。

そうして算出した結果、35歳までに2人。

そうなると、もう今すぐにでも結婚しなきゃ!

という結論に至った。

20代中頃までは、

結婚・出産はしたくない、もっと自由に過ごしていたいとばかり思っていたのに、

たかが誕生日と、自分でも大した日じゃない、

むしろ次のクレーム謝罪のアポイントの方が大きいイベント、などと思っていたのに、

急にスイッチが入ったのは自分でも可笑しかった。

 

そんなことをぐるぐる考えていたせいか、

ランニングのせいか、

アドレナリン出まくりの私は

皆が寝静まった夜の街をハアハアと駆け抜けていくのであった。