関西の地震から1週間が経ちました。

震災に被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

 

地震の事を書くのはネタにしているみたいで躊躇しましたが、私自身のブログで殆ど影響が出る訳ではないので正直の気持ちを書くことにしました。

 

大阪は私の幼少期、大学時代に住んでいた特別な街。

また親戚や友人が関西に住んでいて特に北摂に集中しているのでスマホで地震速報が出た時はすごく驚きました。

 

いつもこちらの方で少し大きな地震があった時は必ず心配してくれる優しい友達。

 

私は急いで関西に住んでいる友人や親戚に安否のラインやメールを送り、N○Kをつけて現状を知りました。

馴染みのある地名が次々に映し出されて無事を祈るばかり。

 

大変な時でしたが、送った人達は全員無事を確認出来て安心したのも束の間、時間が経つ毎に増えるけが人や犠牲者の数に胸が締め付けられる想いでした。

 

またケガがなかったとしても家や勤務先で物が崩れ落ちたり、ガスが止まったりと皆大変な思いをしたみたいで改めて地震は一瞬で壊す事を思い知らされました。

 

1日も早く皆さんが元通りの生活に戻れますように。

 

ここからは自分語りです。(ブログ自体が自分語りなんですが)

 

地震の本当の恐怖や大変さって経験しないと分からない事が多い。

今から13年前の阪神大震災が起こった日、私は箕面市に住んでいました。

 

ようやく一人で寝れる年齢になった私は自分の部屋で寝ていた所、突然大きな揺れに目を覚まし少し視線の先にあるクローゼットがものすごく揺れる光景をただ見る事しか出来ませんでした。

 

ようやく揺れが収まって辺りを見回すと大量の本や物が雪崩のように落ち、ビデオデッキは飛び出し、キッチンではたくさんの食器が割れていたのを今でも覚えています。

無事だったのはティッシュとタオルだけだったと母が言っていたのを記憶しているので部屋中が散乱していたんだと思います。

 

当時マンションの6階に住んでいたので、父とベランダから兵庫方面を見ると大きな黒い煙が出ていて一体何が起こったのか小さい私にはすぐに理解出来ませんでした。

 

当日かどうか覚えていませんが、テレビが見れる様になって大きな地震が起きた事、たくさんの火災や倒壊した高速道路の映像が流され大変な事が起こっている事を知ったのです。

 

私が住んでいた場所はお風呂が壊れてしまったぐらいで、食事や生活に困った事は殆どありませんでしたが、通っていた小学校が私立でしたので、兵庫の方から通学していた生徒もたくさんいて次の日通学すると殆どの生徒が来られない状態だったり、ライフラインが絶たれたりとかなり大変な人達を目の当たりにしてきました。

 

また暫くして愛媛に住む祖母の体調が悪くて帰郷する際に兵庫の街を通ったのですが、1ヶ月経っても戦後の様なたくさん家が崩れ、残った家には玄関に避難所の連絡先があったりとそれまで当たり前に通っていた兵庫の街が一瞬で無くなってしまった事を今でも覚えています。

 

…だから、地震というものは本当に恐ろしいものです。

そして改めて何不自由なく生活出来る1日に感謝するべきなんだと思いました。

 

日本で否、世界中でもいつ何が起こるか分からない世の中。

それは天災でも人災でも。

特に天災は簡単に人が築き上げた物を一瞬で壊してしまう。

 

私には人一人救える力はないけれど、少しでも力になれる事があればさせてもらいたいし、そして何より自分の今の生活をもっと大切にしようと思いました。

偉そうにすみません…。

 

大好きな街なのに意外と写真がないのは、当たり前の風景だったからなのかもしれません。

これは11年前の梅田からの風景。

もっと行けた時に写真撮っておけばよかった。