水蜜桃と毒林檎 -2ページ目

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色んな物とずっと闘っていたTAIJI。


でも、生きてROCKし続けて欲しかった。


無題

14回目の「5月2日」。


14年って長いよな。
生まれてから14歳になるまでの年数。
私が14歳の時って何してたっけ…

ああ。
Xに、hideに、どっぷり浸かって溺れていた頃だった。

今は年を重ねて日常と精神世界のバランスをうまくとれるけど、あの頃はとにかく全てがXとhideだった。

白日夢も見てた。

学校で休み時間に廊下を歩いている最中だって、視界にはぼんやりHIDEが映ってて。
野外のライヴで、ギター弾きながらステージ上を駆け回ってるHIDEの姿。
魔法使いの姿で夢を見せてくれる場面。

…ナドナド。


親に「勉強しなさい」、「ピアノの練習をしなさい」って口うるさく言われても、とりあえず机やピアノに向かうけど、心はここに無かった。

勉強中の部屋ではずっとXを聴いてたし、漢字の書き取りをする宿題はXの歌詞カードから拾った漢字を書き綴った。

ピアノの練習は、コンクールの課題曲や発表会用の曲はそっちのけで、YOSHIKIが弾いてた「月光」を夢中で練習した。
発表会でお辞儀をする時は、ライヴ中にYOSHIKIがしたお辞儀を真似して頭を下げたりした。
ピアノの椅子に座っても「HIDEはそろそろ帰国したのかな?」って東京方面の空を眺めているばかりだったりした。

その頃まで、長い間音大に行こうと思って頑張ってたのに、結局数年後にはある日ふっと力が抜けてしまい、そのままピアノ自体を一切辞めちゃったんだけど。


それで一般的な科目で受験して、Xとhideの追っかけを晴れて生業に出来るーって意気込んでた矢先の、


…突然の訃報だった。


そこから数年間は、どう生きていたかあんまり記憶がない。
ずっと、精神的に生死の堺をさ迷っていた。

訃報の後すぐ、このままじゃダメになると思い、Xを好きな友達に痛い目に遭わされてからずっとファンの友達は作らない主義だったけど、hideファンクラブの会報にSOS的な友達募集のメッセージを出した。

そこやロケボで出会った仲間に支えられて、精神的に危ない時を何度も乗り越えて、今に至る。

昨夏その仲間が一人、自らhideの元に旅立ってしまった。
人を亡くす重みと哀しみが増えて、考える度苦しい。


14年経ったしちょっとは平気になるかな…と思っていた。

でも今朝子供を連れて行った小児科のテレビで、「5月2日」という今日の日付のテロップを見た瞬間、瞬時に目から涙が噴き出しそうになった。

自分の心も何も、全然変わって無いって事を改めて自覚した。


14年前と劇的に違うことは、自分には3歳になる子供がいるということ。その我が子は、今の自分の全て。
我が子のお陰で生きていくことに迷いは無いし、精神的にもかなり強くなってる。


痛みは変わらないし、相変わらずhideの曲聴くと凹む。たまにコスして一体化して安心したりしつつ、また考えて暗くなって。

きっとそうやって生きていくしかないんだよね、もう。

元Virusの馬場さんも先日空に旅立ってしまって、物凄くショックだった。
でも空の上ではみんな楽しくやっているよね。楽し過ぎるから帰って来ないんだよね。

我が子のためにも私はしばらく空には行けないし行きたくないけど、再会を願って頑張るよ。


Rest in peace,
HIDE



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ありったけの愛と

悲しみと

絶望を抱えながら

14年間過ごしてきた。


そしてこれからも。


傷はいつまでも生傷。
痛みは変わらない。

考え出したら気がふれそうになるから、
考えないようにして普通に生活してる。

毎日毎日想ってる。
取り戻せない過去に苦しんでる。



HIDEに会わせて。