私のブログには、たまにトラックバックがつきます。
つくんだけど、「エロイ」やつが多いのです!!!
さっき更新した側からついてやんの!
なんかムカつくなぁ。
で、ほおっておいたら、普通のトラックバックもついたりするんですよ。
(やなぎみわ@原美術館に付けてくださった方、ありがとうです。)

あーもーどしたらええねん!!
あけました、おめでとうございます☆
って、もう、鏡開き!
まるで冬眠していたかのよう!!
冬眠していたのだったら、このまま4月くらいまでブログも凍結させ・・(略)

いえいえ。
今年もよろしくお願いします。
やっぱり、案の定、ゆっくり更新していきます。
のんびりやろうよ!

・・・と、いう割にはいろんなもの観てて
書くのがおっつかない勢いです。

がんばります。みすてないで。
シュテファン・バルケンホール~木の彫刻とレリーフ 
東京オペラシティアートギャラリー 2005年10月15日(土)~12月25日(日)


バルケンホール

東京オペラシティアートギャラリー HP

タイトルに下らないダジャレをつけてしまった・・・が、
バルケンホールの彫刻は、ノミの跡がつぶさに残り、巨大な木片より今まさに
彫りだされ、現実世界に現れた途端にその彫刻は「現実」という色の溢れる世界に
立たされて、おずおずと色を帯びてしまったかのような印象だ。

シュテファン・バルケンホール(1957~ )は、現代ドイツを代表する彫刻家で、
1980年代の初頭から人間の姿を題材にした木彫りの彫刻を制作。
教会やテレビ塔を題材にしたレリーフ作品では、一瞬、普通に着彩された絵画に見間違うが
不思議な量感をたたえていて、近付くと絵画は木彫りのレリーフ作品であったことに気付く。
そのトリッキーに感じる立体感が面白い。

彫刻は「古典主義的」な「躍動感」みたいなものとは無縁に、巨大な頭部や
彼が「誰でもなく、誰でもありうる」という意味で名付けた「Mr.Everyman」のように
凝ったポーズも動きもないもの、動物の彫刻においてもまるで静止画が
彫刻になってしまったかのような印象を受ける。
そして、彫だされたむき出しの木に着彩を施すことによって空間感や
どこか微笑ましいものをかんじる、やさしい彫刻だった。

作品のサイズも印刷物から受ける印象とは違って、
是非、そのサイズや「ノミ」の痕跡を実際に見てかんじてほしい、
シュテファン・バルケンホールの作品群である。

バルケン・チケット

写真は、入場チケットであるが型抜きの仕様になっており
「エレファントマン(2004)」が楽しめる仕掛けになっています。
web上で、この展覧会のレビューなど見かけると、皆、チケットのことに
触れていて評判がいい。
これには私も「お!」となりました。

今月25日までです。
大奥 第1巻 よしながふみ(白泉社ジェッツコミックス)

大奥

SF・・・サイエンスフィクション否。
スーパーファンタジーじゃないか!?

よしながふみの「大奥」が凄い。
BL(ボーイズラブ)作家であったよしながふみですが
初の女性主人公の「美しき娘たち」(白泉社ジェッツコミックス刊)を読んでから、
なんと人の情に訴える漫画を描く作家なんだろう。
と感心してよしながファンになった遅咲きなのですが
よしながふみの作品だったら・・・と彼女のBL作品も少々読みあさった05年。

そもそも、BLには抵抗があって、何故に世の中の腐女子たちはこぞってBLに向かうのか。
書店においてもBL分野の書棚ができる勢いを横目で見ていました。
でも、よしながふみにおいてのBLには感情の抑揚が実にみごとで、
そこには優しき「人情」があった。
なんだか、言い包められたかんじで
男同士だろうが男女だろうが人間にはかわりねぇだろ!愛しあうだろ!?
ってなっちゃうんである。
(でも、よしながふみ以外はまだ手付かずで、きっと他はやっぱり苦手だと思います)

で、件の「大奥」。
このよしなが作品の大奥の世界は「男女逆転劇」なのである。
大奥といえば、ドラマは放映すればヒットする世の中で、普通の「大奥」ってだけでも
話は尽きないし、面白いのに、よしながふみはそれを「もっと」面白くしてしまった。

女・将軍に、大奥・美男三千。

そんな設定でどんな話ができるんだ、無理があるだろう!とか、
来たな・・よしながふみ。男・大奥なんて・・・やっぱりアレでしょBLでしょ。とか?

いやいや、そんなことはいとも簡単にぬぐい去られて物語の中に引き込まれるから
お立ち会い!ってものです。

世は、得体の知れない疫病で男子ばかりを死にいたらしめ、
極端に男子は少なくなり、生活の担い手は女。
貧乏人は結婚はままならず、女は(金を払ったりして)男から「種」をもらい、
遊廓の中には男達が並ぶ。
女の将軍が政を行い、大奥は男の世界となった。
貧乏旗本の水野は、家のためと、恋仲にあった薬問屋の娘とは結ばれない世に
大奥に奉公に入ることを決心する。

と、ストーリーの概要はこんなかんじだ。
エピソードの数々にはよしなが節のギャグとホロリの絶妙なバランス。
また、この作家はコマとコマの「間」や、
魅せるべきところの絵の見せ方を印象的に残すことが
兎に角、旨いのだが、この江戸絵巻にも鮮やかにそれは健在である。
キャラクターも誰もが魅力的で、
大奥にて出世していく水野(みずの)のまっすぐな侠気(よしながふみの大得意だね)と知性。
また、新しい将軍として迎えられた吉宗は幕府の財政難に危機感をもち
切れるものは斬る。(not殺傷)「かっこいい女」の代名詞みたいだ。
よしながふみの絵はとてもすっきりしているがため、
何でもとてもクリーンに見えてしまうところが、味でもあり、
その実、「深み」が出せない落とし穴な気もしている私ですが、
まぁ、なにはともあれ面白いからいっか!

これは「大奥~華の乱~」より面白いかもよ~
(否、面白い!女のドロドロなんて現実だけでオナカイッパイ☆
なんっつて)

ここで少し「大奥」が読めます。



そして、単行本とメロディ(連載誌)を買って応募者全員プレゼントでドラマCDが
買えるのですが、キャスティングが興奮するね!
吉宗は田中敦子さん!!
攻殻機動隊の草薙素子役でおなじみの♪
合ってるよ~かっこいいだろうな~
「聞こえなんだか 暇(いとま)を取らす 下がりぃや!」って
田中さんの声なの?なの?そうなの??
欲しいかも☆
突然だが、あなたの「好みのタイプ」ってどんな人でしょう?
私は昨晩、風呂に入っていて突然思いついた・・・
というか今まで考えていた(思い描いていた)好みのタイプについて
総合的にいうと「こうか!」っといい言葉で思いついた。

「骨格のいい人」

これだ。うん、いい言葉。
だってさ、人間死んで火葬されれば残るのは「骨」だけなのだから。
骨「まで」愛して?
いや、むしろ「骨」を想像するんだ。「骨」を愛す。
好きな「骨格」かどうか。
ただし、私にはこれに条件が付いて「骨格」が解りたいが故に
それに見合った肉付きと筋肉が必要だ。
以前は「洋服の似合う人が好みのタイプ」だと言い振れ回っていたのだが
それには、根本的なことがあって「いい骨格」に美しく纏わり付いた「肉」が必要なわけだ。
その身体に、肌触りの良さそうな布やセンスが「その人」を包む。
根本は「骨」だろう。

樹で言えば、「幹」の部分。
兎に角、知性にしてもセンスにしても性格にしても「骨格」がしっかりとしていなくては
薄っぺらいものになってしまう。だからこそ、全てにおいての「骨格」って大事じゃないか。
これからは「骨格のいい人」。
男でも女でもそうでありたいね。
そして、自分も。

それで、理想を言えば「骨格のいい男」と「知性の交換」がしあえたなら
私は文句言わないナー!(っというような人を探しています)

マクドナルドで「グラタンコロッケバーガー」が始まっている。

マックでは、肉がはさまっているものしか食べたことがなかったのだけれど

一人暮らしの「夕飯」というものは、なんとも一日の中で

おなかは空くけど、一番面倒くさい行事であって

一ヶ月のうち、2回くらいはマックで済ませることがある。

で、肉じゃないものにトライしてみた。


「グラコロ・スペシャルセット」


内訳として、グラコロバーガー、ポテトMサイズorマックガーデンサラダ、

マックチキンナゲット5ピース、ドリンク。

通常のセットメニューには、チキンナゲットが付かない。

やっぱ、「肉」はないとナンじゃないか。マックなんだから。


だけどさ、食べだしたらうんざりするほどの「油地獄」。

自分、注文する前に気づけ!つう話ですわ。

居酒屋でだって、ここまで揚げ物地獄にはしない。

グラコロはコロッケだしさ、ポテトはフライだしさ、ナゲットはから揚げ。

だったら、ポテトをサラダにしろよ。なんだけど、なんでかマックのポテトは食べたいの。

でも、マックフライポテト。

お店によって塩の利かせ方がちがうのよね、大岡山店は味が濃かった・・・。


件のグラタンコロッケバーガーだけど、パンがふあふあすぎて

クリームコロッケである、「グラコロ」も頼りなさげな塩梅の代物じゃない、

食感が悪くて、わたしはもう頼みませんね。(けなしてばかりでゴメンナサイ)

やはり、マックは「肉がはさんである」ものに限りました。

私的な意見ですが。



「eat」って項目の最初がマックの話・・・というのもなんだかな~なんだけど。

もっと、美味いものの話とか書きたいよ。

でも、一緒に行ってくれそうな人がいません。


「目指せ!精神的にも経済的にも自立したオンナ!!」

入りにくいお店にも、美味しいものも、ひとりで食べに行けるように

一から鍛えなおします。

ただの強がりなんだけどね。

北斎展 東京国立博物館 平成館 
2005年10月25日(火)~12月4日(日)


ほくさい

東京国立博物館 HP
北斎展 HP

北斎展に行ってきた・・・というのも先々週のハナシだ。
なんで早くブログにアップ出来ないんだ・・つうハナシだ。
会期は残すところ、数日。最高潮に混んでいることでしょう。

いや、ざっとでいいから日本人なら見ておくべき展覧会だと思う。
展示数はざっと500点。北斎の版画だけなら意味は変わってくるが
肉筆画も含め、そして、画人の一生が一同にして見ることのできる、この規模の展示は
もしかしたら生きているうちにはもう見ることができないかもしれない。
(国内外から作品が集結しているし、日本初公開のものもアリ)

本展は、二十歳の「春朗(しゅんろう)」から最晩年の「画狂老人卍(がきょうろうじん まんじ)」まで
6回のペンネーム変えと各年代の作風が各部屋によって並べられ、本当に見ごたえがある。
時には繊細な線で、時には雪舟のような力強い線で・・・それでも「北斎」は「北斎」であり
一本の力強い幹が見え、そのところどころから枝葉が分かれて、画人としての一生の多才さ、
天才っぷりを魅せてくれる。新しい試みを沢山取り入れながら、活き活きとした暮らしや、
自分が感動したから写し取ることができたであろう富士や、名景。
表現する=人々に自分の感動を伝える。
という、芸術としてのコミュニケーションがしっかりしていることで、幾多の時代を経ても
人々を感動させることのできる才能に尊敬を捧げる。
そして、年を重ねても尽きることのない意欲、向上心、も見ている者がポジティブになってしまう
圧倒的な力を持っている。



版画における北斎作品。
北斎が下絵を制作→版に起こす(木版を下絵に従い彫るのは北斎自身ではなかったはず)
→刷り師が印刷
・・・で、あの美しいグラデーションやあれだけの多彩な色数が出ているんだから
唸ってしまう。それは、すばらしい「江戸のアートディレクター」だ。
北斎の満足のいく彫りや色が出せているのだから、スタッフも大したものだ。
また、北斎は櫛、キセルなどの小物に用いられる様々な分野の職人用の「図案手本」も
残している。画人はデザイナーでもあるわけだ。
こうやって、好きでなければ絶対に出来ない・・・もちろん、
才能もなければ絶対に出来ない分野なワケではあるが、「芸術」を生業として
生計をたて、人気を得られることは陳腐なコトバになってしまうが「すごい」
「偉い」と思ってしまう。
自分に実力があってこそ、人々、スタッフは着いてくるのであって
現代においては(レベルのことはさておき)村上隆や川久保玲なんかを思い出してしまった。
彼らも、すばらしいクリエイターであり、アートディレクターだと思う。



まぁ、理屈はさておき、必ず見ておくべき展覧会であることは確かだ。
華麗なる伊万里、雅の京焼
東京国立博物館 表慶館 2005年10月4日(火)~12月4日(日)


イマリキョウヤキ
東京国立博物館 HP

ども。ご無沙汰です。真面目に書こうとすると時間が掛かってしまいます・・・。
これじゃあ、「ブログ」とか言えない。しかも、また会期終了までもう間がない・・という
展覧会についてです。(あぁ・・)



まず、何から書こうかな、って博物館の建物のことからなのです。
東京国立博物館というところは、私、日本の中で一番好きな場所じゃないか?
って位好きなんですけど
実は、結構、出無精で行ってなかったりもする。
それでも、年に2回くらいは行くようにしています。

正門を入ると、正面に噴水、奥に本館。
右側には東洋館、左に法隆寺宝物館と、件の表慶館。
本館の左奥に平成館(現在北斎展開催)。
という構成で、「広い!」というのも開放感があってイイ!
本館の重厚感あふれる大きな造りの建物、中に入れば大理石や石の
ひんやりとした感触、少し暗い空間に
古い建物独特のノスタルジックをおぼえます。イイネー!!
本館に入って、たしか右の部屋に仏像が9体くらい飾られている
大きめな部屋があるのですが、アタシ、あの部屋に住みたいね!!
企画展だけでなく、年に何回かある常設展示の入れ替えだけでも
行ったらいいかんじがします、でもデブショー(出無精)。←ダメじゃん

まぁ、本館がいかに好きかは置いておいて。
「華麗なる伊万里、雅の京焼」という展示は、左側にある表慶館での展示だったわけですが、
この表慶館もこれまた素敵な建物で、階段を上る、降りるの時にはまるで華族になって
舞踏会にでも来たような雰囲気。私が感激したのは2階の展示の乾山の展示(伊万里展示の最後)
まで来て、1階に降りて京焼の展示に移る時にフタマタに分かれた階段を降りるのですが
丸みを帯びながらも重厚な造りの素敵な階段に、あひゃあひゃしてしまいました。
手すりの支柱の細工なんかも素敵。博物館の建物自体も芸術品、展示品のひとつなのです。

と、なかなか展示の本題に入らなくて相変わらず、無駄に長いね。スミマセン。

焼き物の展示や、例えば淋派の工芸品なんかの展示を見ていて「個人蔵」という文字を見ると
なんだか、ジェラシーをかんじます。
そんで、やっぱりあるんですよ。そういうのが。しかも「重文」指定とか付いていたり。
きっと、冷泉家(れいぜいけ)とかそういう?由緒正しいお家の方の持ち物なのでしょうか?
ジェラシーとともに、ミステリーです。(北斎展でも同じことが!しかも版画じゃなくて
肉筆画でだよ!?すごいね!)

結局、相対的な感想を記しますと古伊万里などの古い焼き物や、工芸品などにしても
絵画とは違って、小さくて決められた規制の中でいかにその風景や、雰囲気、表現したいものを
簡潔に伝えられるか・・ということにかかっていて、
日本の意匠、図案の基礎部分にあたるわけだと思うのです。
(丸とは限りませんが)丸い無機質なカタチの「使うことによって」機能を果たす「皿」という
世界の中に、藍と朱で描かれた世界(鍋島)は調和の取れた美の世界を感じさせる。
「鍋島」の目録52「色絵組紐文皿」と53「色絵三壷文皿」は、平面構成として愛らしく
是非、使ってみたい皿でした。

また、「絵を焼物に」という作り手が課題とした、「見る者」「使う者」のことを
考えた器の数々は、「乾山」にゆだねられ、そこには見る者と使う者に優しい
立体の絵画があった。
目録77「色絵紅葉図透彫半鉢」は絵画が器になった瞬間である。
絵画によって口縁の形が決まり、器から縁に架けて紅葉のもみじの枝葉が広がり
葉と葉の隙間はくり抜かれ、器の空間をも含んで向こうのもみじへと、目が移る。
ハ!!しかもこの代物は「個人蔵」でした!

「京焼」の部門で、微笑ましかったのが
目録103「黒楽銀彩猫手焙(くろらくぎんさいねこてあぶり)」要するに
黒楽の猫の形をして銀彩されている・・英訳だとわかりやすい「Hand warmer」。
きっと、中に墨を入れて手を暖めたものなのです!
カワイー!
こういうのって、よく「化け猫」みたいな顔してたりしてなかったりなんだけど
かわいかったですよ。この展示のチョイスは拍手かな。



とりあえずね、「北斎展」はゲロ混みなので、この展示とか常設とか見て
日を改め、作戦練り直した方がいいのです・・・って、それ私のことですから~
先に「華麗なる伊万里、雅の京焼」展見た方がいいです・・・か、見なくていいです。
「北斎」はすごかった。人も多いが、もう、それ以上に肉筆画とか見ておかないと!だから。
そのへんは、週末にでもUPしますよ。

ちなみに、「北斎展」の休日の日は覚悟してください。
比較的、空いているのは金曜日の夕方らしいです。
そんで、先週の金曜・夕方にいきました。(でも金曜日はあと2回なのね)
とりあえず、情報だけ記しておきます。
星読み 石井ゆかり(幻冬舎コミックス 刊)

☆読み

刊行元に「コミックス」とついているが、「漫画」ではない。
著者に面識はないが、このweb上には、彼女に大変お世話になっている人が沢山いると思う。
そして、私もそのひとりだ。

この本はナニかというと「星占い」の本である。

星占いのサイト筋トレの主宰者である石井ゆかりさん。
今や、300万ヒットを超えるアクセス数の「星占い・テキストサイト」の管理人が
満を持しての出版です。
彼女の星占いは、特になにが具体的ということはないのですが
読む者の心を捕らえます。
わかりやすい比喩と、例、自分が解読した「星の動き」を誰もが「幸せになるため」に
役立てることができるように、そして「指針」として受け止められるように
見えない言語のイミの雰囲気を読んで、「こんなかんじ」です。と伝えてくれる。
それは、単に具体的に書かれていないせいで、今、自分が直面している問題や壁などに
ひとりひとりが、彼女の言葉のヒントを得て、当てはめ、解きあかしてゆくために
彼女の占い(=星の言葉を読んでやさしい解釈をすること)は
「当たっている」という感覚を覚えるのである。

ヒエログリフなど古代文字は、「学問」や「研究」として解読されるが
まったく知識のない者からしてみれば、専門家や学者に頼らなければならないわけで、
「星占い」にしても、「占い」なんていううさん臭いコトバが付いてしまうが
要するに、専門知識がなければ読み解けない、統計学に基づき古代からつづいている
学問の類いではなかろうか。
天体の動きを平面上に書き表わし(ホロスコープ)、人々に、どういった影響が与えられるか・・・。
それは、広い宇宙において「地球」という星に住む者達が、
「銀河系」という秩序に見守られながら、
月の持つ引力やら、そういったものの影響を
少なからず受けて生きている、ということから、
あながち頷けないとは言い切れないチカラのあるものではなかろうか。

私は、この星の動きを読解することを「見えない言語」だとしたが
彼女は著書「星読み」の「はじめに」の中で、
長い人類の歴史の中で人間達は、空を見上げて太陽や月、星々を観察することによって
季節を前もって読み、そして「暦」を作ったとし、それを「空の時計」だと言っている。
太陽、月、水金地火木土天海冥。
これらは地球上の私たちから見ると、空の一つの軌道をゆっくり進んでいるように見え、
この「軌道」を12個分に区分けしたものが、12星座となる。と、説明している。
しかし、彼女は、星は、人の運命に影響を与えたりはしないと考えていて
それは、時計が時間をつくり出しているのではないのと同じこと。
人は、時計を見て時間を読み取りはするけれど、時間の使い方は、自分で決める。
星もそれと同じなのだと、やさしく彼女らしい言葉でくくっています。

彼女は自分の星の読み方というものを、達観しながら伝える方法をとり
「空の時計」が読めない私たちに、「現在の私たちの立ち位置」というものを教えてくれる。
「星読み」という本は、各惑星が象徴する意味、12個に分けられたホロスコープの部屋に
どの惑星が訪れるとこんな状況になる、12星座の持つ雰囲気・・・などが
丁寧にやさしく書かれており、この本だけで簡単にホロスコープが読めるようになるという
良書になっている。
そして、巻末に2006年の各星座の予報と、おまけ(付録)として06年の手帳上に
月の満ち欠けと、惑星の動きがプリントされた「星手帳」が付く。

かつて、人間と自然とは切っても切れない繋がりがあったわけだが
慌ただしい現代社会においては、自然の衰退が甚だしい。
しかし、スローライフやLOHASなど現代社会の生活が見直される中で
自然や体内時計とともに暮らすことは、「星を読む」ということも
含まれたりするのではないかと思ったりもしています。

長くなりましたが、最後に、石井ゆかりさんが好きだと言う小説、
パウロ・コエーリョ著/アルケミストの一節をゆかりさんにならって
載せておきます。

「人が本当に何かを望む時、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ」



しかし、ネットがこれだけ普及して、簡単に個人のページが持て、
情報を発信できる状況に「占い」というページの多いこと。
占いという情報の選択もユーザー側にかかっているわけで、その中でも
信頼がおける「星読み師=占星術師」の選択ができたのはかなりの収穫だと思う。
それまで知る由もなかった、
イギリスの占星術師ジョナサン・ケイナーの星の読み方、
石井ゆかり氏の星の読み方は、私たちの心を掴む。
アクセス数は正比例するという現実だと思う。
また私の悪いクセが出てる。
1週間、更新が滞ってしまいました。
本日中に1本、更新します・・・
とか言いつつ、誰も見ている人のいない現状。

このブログは、わたしの「ゲロ袋」にならないように
しようと思ってやっているけど
くだらない「ゲロ」の方が
バサバサと書けたりするような現状。
(と、言っても今は「ゲロ」すら書いていない)

何か、しなくては。
と、気ばかりが焦る・・・。
というわけでもない、それはなんとも怠惰な現状。