ずっと分からないことがいくつかあります。

誰かが「何か美味しい物食べたいな」といった時その人は結局は何を思い浮かべているのでしょうか。きっと具体的に思い浮かんでいるものがあるはずだけど曖昧にします難しい疑問です。

誰だって傷つきたく無いはずのにわざわざ自分から傷つきにいってる人をたまにみます。愛ゆえの行動な気がするけど傷ついてまで見たいものや聞きたいことや信じたいものがあるっていうのはすこしやるせないです。 

難しいです。

頭の片隅にも無かった大切という言葉を使うには失礼な過去の人が亡くなったとします

実感がないだったり現実じゃないみたいと薄い言葉で嘆いてみせるけどどうして涙が出るのでしょうか勝手に死ぬまで残ってると思っていた存在がどうして無くなってしまうのでしょうかどうして1分後には無くなってしまうかもしれないものそんな無責任に信じてしまうのでしょうか向こう側はいつも仲良しなのにどうして普段は微塵も考えないのでしょうか。難しいです。自力で頭を揃えられない人は無意識に揃う人の計り知れない努力を経て頭を揃えています生まれつき持った物では雀は烏に勝てません

以前親からの連絡が返せず「お前何するか分からないから心配だった」って言われた時に「大丈夫1人で死ねるほど強くないよ」と言ったことがあります

妙に腑に落ちた親の顔が気持ち悪くて水を飲みました


生まれてからずっと自分が薄っぺらくて仕様がありません

人目を気にして顔を伺って夢を笑われて自分を笑われる日々です


だけどすごい人をすごいと思うのは自分です。結局人は他人のおかげで光れているものです。そんなつまらないことを知った時少し楽になりました人生は少し面白いとも思いました

たとえば僕が恋に落ちたとします。したのではなく落ちたとします。その時理由は大抵知りません。気づいたらそうなっているもので理由とか原因とか一生懸命探してみるけど当たり前みたいにそうなっているものです。その人の全てを受け入れて全てを知りたくてそして自分のことも全部知ってほしいと思います そんな人に出会える人生は奇跡であり、その人こそが目に見える奇跡である気がします。でも実はそれは全部勝手で自分が勝手に好きになっただけで勝手に考えて勝手に傷ついて、というかそもそもその人の景色にすらなれていないことが大抵です。でもそんな経験をしても人は恋をしてしまうのはなんでなのでしょうか 懲りずに愛を届けたくて焦がれてしまうのはなんでなのでしょうか 難しい問題です

嫌いという感情についてです。こっちは逆に理由が先に来てから結果に結びつく事が多い気がします。だからすごくわかりやすくて浅くて裸で生々しいです 嫌いという感情は苦手です幸せな部分がありません 先日珍しく嫌いな人ができたけどやはり望んでそうなったわけじゃ無いしできれば好きでいたいけど難しくて儚いです 苦手です

人があえてバカを演じていることに気づかない人がいます自分もよくバカを演じますバカな人をバカだなあと思ってそれで終わる人は一番バカな気がします。言葉が悪いな

自分のために音楽を聴いて映画を観て本を読んで銭を稼いで苦しんで笑います

明日も自分のために生きます

それがきっと大切だと思える人の為にいつかなる気がするのです

変わらずにいる為に変わり続けるみたいなことなんですかね

難しいです

相変わらず文脈がめちゃくちゃだし読んでもらうためのものにしては雑すぎるな自重しよ


おやすみなさい