遠い昔の実家の話。
私が3歳の時に、祖父母が同居する事になった。
ある日、両親から「おじいちゃんとおばあちゃんが田舎から出てきて、ここで一緒に暮らす事になるからね」と聞かされ、その話ぶりから、3歳の私でも、これは楽しくない事が始まるんだなと感じたのを覚えている。
祖父母が50代後半、今の私の年齢である。
いくら昔とはいえ、隠居するには早すぎる歳だし、特に病人でもないのに、家事は専業主婦の母に任せ、近所に出掛ける事もなく、孫を可愛がる事もなく、一日中自室に篭っていた。
今迄の自由な暮らしが一変し、祖父母に気を遣いながら、静かに暮らす事を強いられた。
母が一番大変だったとは思うが、家族全員が、帰りたくないと感じる家だった。
祖母は早くに亡くなったが、祖父は私が二十歳まで生きた。
母は50歳にしてやっと自由の身になり、経済的にも余裕があった事から、父や友人と日本全国旅行をし、趣味を楽しみ、デパートで高価な服を買いまくり、それに加えて健康でもあり、自信に満ち溢れていた事と思う。
74歳の時、夫を亡くしたが、気落ちする事も無く、85歳で圧迫骨折する迄は、周りから羨ましがられるような生き方をしていた。
自分に自信があったから、老後は、多少高級な老人ホームに入所し、そこで同世代のお友達を作って、楽しく悠々自適な暮らしをするつもりだったのだろう。
きっと、以前の母なら、そこでもリーダー格で、いろんな事にチャレンジしただろう。
しかし、人より動けない身体、人より食べられない身体になってしまい、人の手を借りないといろんな事が出来なくなった今、決められた時間に決められた事をする。
自分が郷に入れば郷に従う生活なんて、絶対嫌だとなったのだ。
自分に合わせた至れり尽せりの介護を望むには、最期まで家にいて、娘の私なり、他の人達が、自分の為に通って来て、自分の望み通りの介護をしてもらう、それが一番だと悟ったようだ。
「私が我慢するなんて嫌」母の言葉通りになった。