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そういえばセロリ初めて料理したな

今日はセロリと生姜のスープ
すりおろした人参とカニカマ入りです

美味しかった♪


ちなみに今日は兄様
ひーくんの誕生日♡

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メールしたらすごい喜んでくれた笑
かわいい人です
ココリコ遠藤ともっくん似



ではおやすみなさい♡




iPhoneからの投稿

昨日楽しくて気持ちが上がったからか
今日はなぜだかどんより

こういうとき人様も嫌な気持ちに
させてしまうのがいやね

心も身体も健康じゃないと
周りも自分も楽しくないね!
いかんいかん



今日の晩ごはんは

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せせり入りきんぴらごぼう
野菜のタジン鍋蒸し 納豆 味噌汁


きんぴら美味しかったー♡
丁度いい味付けができて
明日のお弁当も楽しみ♪



今年のバレンタインは
ホワイトチョコのリクエストを頂き、
ホワイトチョコチーズトリュフにしました。なかなか美味しかったよ


そしてさっきクッキー焼いたけど

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仲良くくっついて不細工 あーあ
味は美味しいけど

会社の人に買うの忘れて作ったけど、
手作りとかちょっと嫌かね

うーん

ま、いっか
持ってって自分で食べよ♪


はっぴーバレンタインʕ•̫͡•ʔ♡ʕ•̫͡•ʔ"






iPhoneからの投稿

よしもとばななのブログより

『このあいだ、すごく年上の彼やご主人を持つすごい美人の女の友達とごはんを食べていたら、ふたりとも「お互いの仕事のいやだったことやストレスはふたりでは話し合わない、それぞれで解決して、家にはとにかくもちこまないようにする」と言っていた。
「だって、五十も過ぎてさあ、家に帰ってきてからも暗い話なんていけないよ!家ではさあ、ただ気を抜いてバカになれないと。楽しいことだけでいいよ、ただ明るい雰囲気だけでいい」「ね~!ほんとうにそうだよね。五十過ぎて家に帰ってまでつめて考えられないよね」
ふたりが声をそろえてそう言うのを聞いて、この人たちがモテるのは美人だからだけじゃない、本気でこう思っているからだ、と思った。
もちろん私もできないほうだ。
私もこんなに男みたいに働いてるんだから、男に甘えさせるもんか!みたいについ思ってしまうことがどうしてもある。
でも、その筋が通った私の理屈が、人間そして男女にあてはまり通用することはまずない。
「なんでも話し合う夫婦っているけど、私は、何十年もたつうちに、自分のことは自分で解決して、ただ楽しく過ごそうとした夫婦と差が出るような気がするな。もちろん人によると思うけど、うちは今のやり方が合ってると思う。」
と彼女たちのひとりは言った。
私はとても感心してしまい、女性が女性であるってどういうことだろう、と考えた。
そして結論が出た。
女性は、鷹揚であるところがいちばん大事なんじゃないかなって。
モテるためとか、家庭を円満に収めるために、とかそういうためにじゃない。
女性の心と体のためにだ。
「ま、いいか」「あんまり考えてもね、さ、お菓子食べて寝よ」
みたいなところがないと、女性の人生はきついのではないだろうか。
誤解を恐れずに言うと、結婚したくないわけではないのに、しないでずっときた女性の共通項は「善悪好き嫌いをかなりきっちりつめる」「いろんなことをきっちりとつめて考える」ところなような気がしてならない。
それが悪いというのではなく「善悪や好き嫌いをつめると、人と暮らすのがすごく大変になる」ということなのだと思う。
ゆるく、わりとどうでもよく、わりと無頓着で、ときには相手の要望を無視してぐうたらでき、「ま、いいか」が合い言葉みたいなほうが、人と暮らすには楽なのだ。
もともとは神経質でつめるタイプ、さらに、いろ~んな人と暮らしてだんだんだらしなくなってきた私なので、多分これは間違いないと思う。
しかし女性は年齢を重ねてひとりでいると、世間もうるさいから、どうしてもその「好き嫌い、つめる、はっきりと自分がある」という部分にどんどん重きをおくようになる。
それで男が寄り付かない…という悪循環になる気がする。
ひとりでいてもかなりハッピーでゆるくて、もういいや、楽しく一生一人で生きると決めている女性は、かなりの年齢でもとりあえず男は絶えない。
今はひとりだけれど結婚したい、そういうまじめできっちりしていて、おおむねすてきな女性たちを責めているのでは決してなく、単に事実だと思うのだ。
悲しいけれどこの世は筋が通ってないものだし、善悪に至っては法律に関わらない限りは全員がてきとうな基準をてきとうにすりあわせて生きている。
女が外で働いてどんなにへとへとで帰宅しても、男の人は「たいへんだったね」とは言ってくれるが、洗濯や皿洗いや調理やその後片付けをしないし、頼めば毎日同じことを同じようにやってはくれても、その脇道の家事を加減して見ながら臨機応変に対応なんてもちろんしてくれない。
これはあくまでたとえだが、いつも花瓶に花があるな、までは気づいてもたいていは「チューリップだった?バラだった?」と聞いたら忘れているだろう、インテリア関係か花屋でもない限り。
それは遺伝子の問題だから、もう理屈ではない。紙に家事の分担を書き出してもきちんとやってくれないともめている共働き夫婦もよく見るけど、そんなのはもう仕方ない。長年頼んで、ちょっとずつでも自分の分担をやってくれるようになれば御の字だ。そしてその頃には自分もあきらめて男性に対して鷹揚になる。「ま、いいか、お茶漬けで」「ま、いいか今日はこのくらいで」「掃除してないけどさっとふいて終わりでいいか」と立派なてきとうおばさんになっていくか、こつをつかんできりきりしないようになるか、手を抜く加減を体得するか、力仕事や運転や電球を替えることなどをたっぷり頼むか…そうやって替えのきかないうまくいっている夫婦ができあがっていくのでは。
男性は、自分の場所を自分なりに整えることには興味があるが、自分の巣全体を快適に保つという、世話をするという本能がないのだ。女性は基本的に独自の整え方ではあっても、どんなに疲れていても自分にとっての快適な巣にすごくこだわっている。散らかっているのが好きな女性はたくさんいるが、それは彼女たちにとってこだわる快適さがそこにあるからだと思う。
そして女性が男性のように働くと、疲れてきて、自分にとって快適な環境を作る暇がなくなり、どんどんきりきりしてなんでもつめていくようになる。
人権とか平等の問題は、私には語ることができない。
職場でのセクハラのすごさを私も外で働いたことがあるからよく知っているし、なんでより仕事ができても女だと給料が安いの?と思ったこともある。
でも男が仕事でさらされている嫉妬や虚栄心や権力の世界のすごさを見ると、やっぱり女は楽だなと思うこともある。
だけれど、そういうことの全てを超えて、健康のために、体のためには、やっぱり女性は他人に対して鷹揚なほうが楽だと思う。
「五十過ぎたって、人間はいつもちゃんと成長しているべきだし、問題には常に向き合うべき。いろいろなことを分かち合うべき。だからいつもちゃんと話し合ってふたりの間のバランスをつめていたい」
そう言いたい人もいっぱいいると思う。
私も一歩まちがえるとそういうタイプ。
でも、それは多分「ま、いいか」の真実には迫れない。
なによりも「ま、いいか」のほうが、家は汚くなるし、すっきりしないことがいろいろあるのに、家庭に笑顔があふれていやすくなる。いやすいほうがいいから、ま、いいか。
そのくらい人間っていい加減なものだし、有機的で、どろどろして、生々しい、つまりは動物であることから、全部は離れられないものなんだと思う。』


あやに教えてもらって読んでみたけど
はぁ~!と勉強になりました


家が1番あったかくて
大好きな場所じゃないとね
旅行に行っても、帰ってきたら
あ~やっぱしうちが1番!て思いたい

わたしの場合、まいっか過ぎて
のんびりでだらしないので
締めるとこはしめていかないとね



それより鷹揚が読めなかった…
おうようって読むみたいね
読めた?