祥月命日
去年の七夕から、1年が過ぎました。
この日を迎える前から、やはり闘病中の辛い事ばかり思い出しました。
「記念日反応に気をつけて」
そう周りに言われていた意味が分かった気がします。
いなくなると分かっていながら、どこかで我が子だけは違うのではないかと僅かな希望を持ちながら過ごした日々。
やっぱり助からないのだと覚悟をしながら過ごした日々。
段々と身体の機能が失われていくのを1番近くで見守った日々。
息を引き取る息子を抱きしめた日。
家で子どもを看取るということは、その後も私にダメージを与え続けています。
命日は、辛い日々に向き合わないといけないので、普段は全力で現実逃避している私には辛い日でした。
当日もその後もお忙しい中、多くの方が息子に会いに来てくださいました。
息子の友達やママたち、妹と姪っ子。
ママ友で息子の小学生時代のコーチ。
訪問診療の先生方、看護師さん、事務さんたち。
たくさんのお花とお供えをありがとうございました。
息子を見送った時のひまわり、私の好きないい香りのオリエンタルリリー
優しい色合いのローズやトルコキキョウ、エリンジウム
ドウダンツツジやアナベル
たくさんの思いに感謝して、癒されています。
美味しい物もたくさんいただきました。
小学生時代のチームのアルバムを作ってきてくれた方もいました。
息子の友達からもいただいて、気遣いできる年齢になったのだと感心して、そして少し羨ましくなりました。
来てくれたお友達に息子の形見分けをしました。
息子と1番仲が良かったお友達が朝1番に来てくれました。
一緒に服を見ながら、「これよく着てたなー」とか「これは貰えない…これ手に入れるためにスゴい苦労してたから」なんて話してくれました。
帰宅してから、ママから連絡があり、「◯◯の匂いがするー」「スニーカーは部屋に飾る」と話していたそうです。
別のお友達も試着したりしながら、ガッツリ持ち帰る子(笑)、控えめに1枚だけで選ぶ子、自分で似合う!と目を輝かせている子。
姪っ子も古着をメインにかわいく着こなしていました。
息子の物を手離したくない気持ちもありました。
でも、いざ息子の友達に貰って欲しいと思った時には、周りは年を取っているのだと気付きました。
喜んで貰っていただける間に着て欲しいと思いました。
息子の服だと思いながら着てもらってもいいし、単純に好みだと着てもらっていい。
手離すのは自由にしてもらって構いません。
何枚かはありますが写真に撮ってもいないのです。
それでいいかな。
他にも息子の物がたーくさん残っています。
ピアニカとかアルトリコーダーや小学生時代の国語辞典とかもっと早く処分していてもいい物まで。
物だけではなく、たくさんの思い出があるから。
それがこれからも私が生きていく支えになるのだと思います。
長文をお読みくださり、ありがとうございました。