オカメインコとアキクサインコと私と家族

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私の主人は2015年に直腸がんで亡くなっています。

 

 

病気発覚までの4ヶ月くらい前からトイレがすごく近くて一緒に出かけてもトイレ待ちがすごく多く。もともと排便に神経質なところがあった人なので、気にしすぎじゃない?

とか言ってたんですがさすがに気になって病院(内科)に行くと、腸過敏症症候群ではないかということでした。

 

 

それからも治ることなく、一度ちゃんと見てもらった方がいいよと言って私が近くで大腸内視鏡の検査をしてくれる病院を探し、診察に行きました。

 

 

そこでも症状から腸過敏性症候群ではないかとの事でしたが2週間後くらいに検査の予約が取れました。

検査の前日に発熱し、めったに熱を出さない平熱の低い主人が38度の熱を出し、明日の検査が受けられるか心配でしたが、漠然とですがどうもおかしい感じでしたのでなんとか検査を受けて欲しいと思っており熱が下がらないかと祈っていましたら、次の日にはなんとか体調回復し、大腸内視鏡検査をしたのでした。

 

 

結果直腸に腫瘍が見つかり、その時点で病院のポスターに貼ってある大腸ガンの進行がんの大きさにそっくりでした。

 

 

その後医大に紹介してもらい、肝臓と骨にも転移して、お腹の中にも数え切れないくらい転移している直腸がんの末期だということがわかりました。

 

 

そこからわずか9ヶ月で亡くなってしまったんですが、旦那さんも絶対に治すから、抗がん剤が効いて癌が小さくなったら手術をする!手術できる!っていう気持ちでいたので(おそらく医師もまだ働き盛りの年齢の主人に手の施しようがないとはいえなかったので、なんとか抗がん剤が効いて転移の癌が全部消えたら手術できるからみたいに言ってくれていたんです)亡くなる1週間前に親族だけにあと1週間くらいの命ですと言われるまで一度も余命の話はされませんでした。ステージの話すらされたことがありませんでした。(当たり前にステージ4なんですがあえて言われず、あえて聞かず)


 

 

主人も前向きでしたし私もついこないだまで元気だった人がそんなに簡単に死ぬわけないって思っていました。


 

 

というわけで、私たち夫婦は病気を受け入れ、残された人生をいかに生きるか、という過ごし方ではなく、この事態は一過性で、きっとまだ大丈夫、治療すれば大丈夫っていう過ごし方になりました。

 

 



主人の闘病中、なくなるひと月前まで、私はパートに出ていました。





休職中の主人には健保から月々給付金が支払われていましたが、給与よりは下がり、当たり前ですがボーナスもないので長いこと闘病すると思った私は少しでも生活費を稼がねば!という気持ちもありました。

それに、まだまだ私たちには時間があると思っていたのです。





今思えば限られた時間もっともっと主人に寄り添って夫婦の時間を大切にするべきでした。





先の事を考えすぎて、大切なものを見失っていたのかもしれません。先なんてなかったのに。

 

 

 

 主人が亡くなったとき、色々な後悔をしました。




そして、今回私が癌を宣告された事でまたその気持ちが強くなりました。




主人の癌を一緒に悲しみ、一緒に頑張っていた気になっていましたが、自分が宣告されて、私の悲しみや理解なんてまだまだだったんだなと今なら思います。





きっと主人は私の想像以上に不安だったと思います。私よりずっと厳しい状態だった主人。

ステージ1で切除した私でも毎日毎日不安で仕方ないのに、もっと間近に死を感じていただろう主人の心がどのようだったのか想像もつきません。





一度買い物から帰ったら、主人がリビングで一人で泣いていて、それをみてすごく動揺した私がいました。多分主人は家族を心配させないように、いつも一人で泣いていたんじゃないかと思います。




もっともっと寄り添って、辛い話も聞いて、一緒に悲しんで、ってすればよかった。

怖くて病気の話はしたくなかった私。

きっともっと聞いてほしかったんじゃないかな?

と思います。




主人の闘病生活を見ていたから、癌の怖さを知ったから私の癌に対する不安がかなり大きいのもあるかもしれません。





でも私の癌も7、8年は前からあったわけで。

もっと早くに私の癌もわかっていたら、もっと夫婦で癌についてお互い遠慮せずに話せて、共感し合えたんじゃないかと思うんです。