昨日どうしても親友に会いたくて会ってもらった。
大切な決断があって、どうしていいのかわからなかったから。
彼女は同い年。結婚して主婦してる。全く飾り気のないカッコイイ女。
出会いは小学生の時。阪神大震災で神戸から大阪に二ヶ月だけ避難してきた彼女と同じクラスになった。
たった二ヶ月。それから私たちは親友になって今でもこうして仲良し。
大震災がなかったら出会ってなかった。
私が持ちかけた相談には本当に丁寧に答えてくれた。そして、私の病気についてもまた、真実の思いで指摘してくれた。
『choco、自分の視点が歪んでること、わかってる?あのな、例えば乱視の人がコンタクトも眼鏡も付けんと歩いてるの想像してみ?本人はそれが正しい見え方やと思ってるねん。だけど、実際はブレッブレでピント合ってへんのやから危なくてしゃーないやろ?周りはヒヤヒヤしながらそれを見てるんやで。』
私はこれほどにクッキリと解る表現はないなと感心した。その通りだ。私は自分自身、認知が歪んでいるという意識がない。病人だという意識もない。それが1番ヤバイのだ。
体重計の20台を平気で見られる(いや、なんなら歓迎する勢い)のは、やっぱり歪んだ視力なんだ。
そのことを伝えるのは、難しい。親や兄弟も伝え方に困る。医者はバンバン言うけど、割と医者の言うことはスルーできちゃうし。
摂食患者へのアプローチは本当に難しいと思う。どうやったら現実を理解させられるか、どんな伝え方が効果的か。家族は悩むだろう。
彼女はさらに続けた。
『chocoは今の家におったら、間違いなくそこに安住するわ。例え入院しても、退院したらまた同じ繰り返しをするだけやと思う。変化のない生活ってある意味ラクやもん、居心地いいもん。誰だってそうや。だけどもうそろそろアラサーやで?もう一回女として花咲かせたくない?それやったら、今のタイミングで新しい環境作って抜け出していかな無理やで。乱視のまま歩いてるん止めて、コンタクトか眼鏡探しに行こう。どんなコンタクトが合うのか、それはやってみんとわからんから。とにかくやってみたらいい。あかんかったら、また違うのん探したらいいやん。choco、こっちの世界においでや。』
こっちの世界。
この言葉、私にとって想像を超えた神秘的な空間。
ステップあやさんの本の最後の一文にもあった。
どんな世界なんやろう。
のぞいてみたいよ。
行ってみたいよ。
完治なんて望んではない。少なからずキズアトは残るもんや。
だけど今の私はナマキズや。血が流れて痛々しい状態。いつかカサブタくらいにはしたい。今のままやったら、自分も周りも見てて痛いもんな。
私は、こんなことをきちんと伝えてくれる親友がいることに感謝してもしきれない。愛されてる実感… 色んな人がくれる。
母親、兄弟、親友、親戚。
いつかは見てみたい。
あっちの世界を。
ピントの合ったクリアな世界を。
ゆっくりとしか進めないけど。諦めたくはない。