今日は「平成」最後の日ですね。
日本での歴史の節目、区切りということになりますが、例えば東京都と埼玉県
の間にまたがって立つような感じ? これだと、平面的すぎますね。
時間軸があるのでもっと複雑になるのか・・。
昭和から平成を生きて、令和という時代に向かいます。
次の時代も生きてみたいなぁと思います。
世の中はどんどん変わっていき、振り返った時に
今の時代があまりにも古臭く思えて笑えるかもしれませんね。
昭和は戦争もありましたが、世の中が大躍進を遂げて経済活動、文明の力も一気に
加速して生活が豊かになった時代だったと思います。
平成も自分史的にもいちばん充実した時代だと言えます。
いい時代に生きていられてよかったです。
帰省後、2日間 降り続いた雨が上がり、4月28日は朝から
とても良い天気になりました。
父は通販で買った商品の代金をコンビニで振り込んでくると言い出かけました。
残された私は散歩に出ることにしました。
実家に来てからはあまり、歩いていません。
歩測計は ずっと、1万歩未満の数字になっています。
ちょっと歩くとさくらの名所でもある大きな公園があります。
のんびりと散歩してみましょう。
この公園は子供のころからよく来ていた場所です。
普段の遊ぶ場所でもあり、学校の行事の時にも使われていた場所です。
地元の人にずっと愛され続けてきた場所のひとつです。
かつて、この町は城下町として栄えていた時代がありました。
駅前からの目抜き通りの商店街はいつもにぎやかで、その通りと
交差する通りには大きな商店が軒を並べていました。
百貨店、大型スーパー、映画館、家具屋、生活の必需品はこの通りに
来れば大体のものは揃いました。
この地域では、さくらが満開になるのは5月の連休の時期です。
その時は、たくさんの人たちがこの公園にお花見に集まりました。
地元の誰もが足を運ぶ憩いの場所でした。
大きな池があったはずですが、現在は半分以上が埋められて駐車場に
なっていました。
遊具も置かれ、小さな子供たちが遊んでいるのが見えます。
池のほとりに沿って、さくらが植えられています。
以前から さくらの樹は並んでいましたが、世代交代をしたようで細い幹の
さくらが何本も確認できました。
確か、あの頃はこの道にずらりと露店が並んだはずです。
子供のころは、この時期に この場所に来るのが楽しみでした。
今は1軒の露店が出ているだけでした。
あまりにも寂しいです。
公園の中心部には相撲の土俵が作られていたはずです。
今は消えています。 なくしたのか・・。
小学生のころはこのすぐ近くに学校があったので、年に1回
相撲大会がこの場所で行われていました。
全員参加なので私も嫌々ながら参加していました。
もちろん、勝ったことなど1度もありません。
その土俵を中心にすり鉢状に周囲が客席のように整備されています。
今、考えるとうまく土地を活かした設計だったのですね。
さくらの樹は池のほとりだけではなく、かつて土俵のあったスタジアム状の
広場を包み込むように山の斜面に沿ってたくさんのさくらの樹が植えられています。
200本ほど のソメイヨシノと20本あまりのヤエザクラがあります。
離れた場所から見ると山の一部がさくら色に染まる公園です。
私は子供のころからこの公園が好きで頻繁に訪れていました。
このさくらの樹たちは私を見ていたはずです。
どの辺りになるのかなぁ。
切り倒されたさくらの幹の年輪を見ていたら、記憶の欠片がざわめき始めました。
小学生のころ、この石段の横で初めてオニヤンマを捕らえました。
正面から飛んでくるオニヤンマが見えたので闇雲に捕虫網を振り回したら
奇跡的に捉えることが出来ていました。
がっしりした強靭な体格とその大きさに驚きました。
まっすぐな石段を上ると 神社があったはずですが、今は跡形もありませんでした。
鳥居の下でテンが昼寝をしているのを見たことがあります。
私と目が合い、テンはものすごい速さで背後の茂みへ姿をくらましました。
この山の頂上部、現在は車で行ける道路が整備されて展望スペースになって
います。
かつては幅1メートルにも満たない山肌がむき出しで自然石がごろごろ
転がっている歩きにくい細い山道で、その先には何もない ただ
まっ平らになっているスペースがあるだけの場所でした。
この場所に来る人は、山の地理に明るい限られた人たちだけでした。
ある日、いとこの同い年の子と2人で頂上部へ向かったところ、
とんでもないものを見ることになりました。
高校生の男子2人と女子学生1人の3人がいました。
脱ぎ捨てられた学生服の近くで男子学生2人は胸ぐらをつかみあい今にもなぐり合いの
ケンカが始まりそうでした。
女子学生は泣いていたように見えました。
幼くても大体どんな状況なのかは想像できました。
しかし、初めて見る光景にショックを受けて3人をみつめたまま、身動きが
出来なくなりました。
私たち2人は並んだまま、じっと事の成り行きをみつめていました。
女子学生が私たちの前に歩いてきました。
「坊やたちはおうちに帰りなさい!」‐「ハイッ!」
この場を去ることが出来るきっかけを得た私たちは走って坂道を駆け下りました。
夏になればセミ取りに出かけ、セミのオシッコを頻繁にかけられていました。
巣箱を作り、幹に備え付けたのに鳥たちは誰も使ってくれませんでした。
そして、この公園の入り口のドブに自転車ごと落ちたことがあります。
なぜ、そんなことが起こるのか自分でもよくわかりません。
死ぬかと思いました。 あんまり恥ずかしくて・・。
散歩をしながら、この公園での記憶をたどりましたが・・。
たいしたことないですね。
やはり、子供のころから ただのイカレポンチという結論にたどり着きました。
それにしても、すばらしい景色です。
さくらと鳥海山を一緒に見たのは数十年ぶりのことです。
ずっと、この景色を見ることが出来たらいいいなぁと思います。
時間は前後しますが、実家に来て2日目の夜に姉が来てくれました。
「ずいぶん、お久しぶりです こと!」
「あけましておめでとうございます!」
「ギャハッ!ふっ ふっ」 笑ってくれている。 よかったです。
姉はすぐに晩ごはんの準備を始めました。
ずっと、私に話しかけながら料理を作っていました。
この家の今後の事を含め、私のことを心配してくれる姉の後ろ姿はやたら
か細く見えました。
カニはヒラツメガニというものだそうです。
食べるところがほとんどありませんが、汁はカニの味がしました。 ??
「令和」 よい時代になるといいですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。