「よし、行こうか」

「今日は天気がよくないね」

 

 

 毎年、4月10日に向かう場所があります。

家の近くにある大きい公園です。

踏切を越え、住宅地を抜けて、

 

 

 

また踏切を渡り、商店街へ出て

 

 

 

20分ほど歩けば目的地に着きます。

 

 

 

 

「まだ、さくらが咲いていてよかったね」

 

 

「懐かしいだろ」

「雪が降った日、ここで一緒に遊んだね」

 

 

 

 

 

「この場所でさくらを背景に写真を撮ったね」

 

 

 8年前の2011年4月10日 

私と13年間一緒に生きた 愛犬whitefang は旅立ちました。

元気な頃は朝と夜にこの公園に散歩に来ていました。

毎日、この場所に来て巡る四季をwhitefangと体感していました。

 

 

 ここの公園のさくらは私にとっては特別なものです。

うつむいていても、立ち止まっていても、おそらく何も変わらないでしょう。

 

 

 この場所に来ても、来なくても何も変わらないかもしれません。

けれども、4月10日だけはこの場所に一緒に来なければと思います。

 

 

 Whitefangは私の眼を通して現世を認識しているかもしれません。

 


 公園を出て、駅に向かい電車に乗りました。

 

 

 whitefangが眠っている霊園に向かいます。

 

 

 天気が良ければ自転車で行きますが、この日は生憎の冷たい雨でした。

 

 

 

 時間がある時にぶらっとこの場所に来ることがあります。

 

 

 

 

 

 ここで見かける方たちはみな同じ気持ちで、この場所に来ているのでしょう。

 

 

 

 

 

「元気にしているかい?」というのも変だし。

「いずれ、また会えるからね!」と言っても果たして同じところに行けるかどうかも

わからないし・・。

 

  とりあえず、「こっちは皆元気だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深大寺 本堂 

 

 

 

 元釈迦堂  

左横に鎮座する びんずるそんじゃさま 

 

 

 

 基本的に神様や仏様にお願いすることは滅多にありませんが、

足、指、肩 頭 さんざん撫でまわしました。

 

 

 

 1円のお賽銭で真面目に お願いしました。

右手の指を念入りに撫でていたら、バコッと音がして腕が外れそうになりました。

 

 

「これでは願いは届かないだろうなぁ」

 

 今、私がこうして この場所にいる理由はwhitefangと私が一緒に

生きていたからです。

 

 

 Whitefangが存在していたことは、どれだけの時間が経っても

私に影響するものなのだなぁ と思います。

そして、やっぱり 今でも一緒に生きているのだろうと

考えながら帰りました。

 

 

 この日、雨は夜になっても止むことはありませんでした。

8年前のこの日は夜からカミナリをともなった土砂降りの雨でした。

 

 また来年もwhitefangと一緒に公園のさくらを見られたらいいなぁと思います。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。