死を目の前にして
今、ブログにも良く書きました、私を育ててくれた祖母が危ないのです。
今奇跡のようにどうにか生きていますが、お盆まで持つのだろうか?
という感じです。
今私は、死と向き合わされています。
凄く
生きている
と言う事を考えさせられました。
生きていて、その愛する人が元気だった頃の記憶、私の記憶全てにおばあちゃんがいます。
その記憶が辛かった。
憎かった。
その記憶があるがゆえに、今にも灯が消えそうなおばあちゃんを見ていると、人間の思いそのままで、アマチャンに懇願してしまう自分がいました。
助けてくれ
と。
でも、その都度、魂の奥底では、光輝いているおばあちゃんの旅たちを理解している自分もいます。
素晴らしい輝きを放ち、もう人間臭くないおばあちゃんのエネルギー。
喜びでもあります。
私は喜んだり、人間の記憶が消えればいい
と恨んだり…
けど、
私が結婚した後、おばあちゃんと離れ、たまにしか会えないけれど、元気にいれたのは、そのおばあちゃんとの記憶があんたを元気にしてたのよ
ってアマチャンがいいました。
例え一緒に過ごしていても、仕事して離れている時、寂しかったり泣いたりしないのは、その人の記憶が、私たちのなかで生きているから。
愛する人の笑顔が自分の記憶の中に生きているから。
無意識に寂しくないのです。
死を迎えると、人間という物質は脱ぎます。
おばあちゃんも肉体は脱ぎます。
会いにはいけないし、いない。
けれども、
離れて暮らしていたときと何ら変わらず、私の中には、おばあちゃんはいます。
それを思い出すから、会えなくても元気で笑顔でいれたんです、私。
それとなんにも変わらない
アマチャンにそう教わりました。
人間としては寂しいです。
けれど、魂では、神様がいっぱいそばにいるおばあちゃんをみると嬉しいです。
私は人間だから、
まだまだ、揺らぎます。
けど、諦めずに頑張っているおばあちゃんに、私も笑顔で会いに行こう。
その日が来るまで。
今奇跡のようにどうにか生きていますが、お盆まで持つのだろうか?
という感じです。
今私は、死と向き合わされています。
凄く
生きている
と言う事を考えさせられました。
生きていて、その愛する人が元気だった頃の記憶、私の記憶全てにおばあちゃんがいます。
その記憶が辛かった。
憎かった。
その記憶があるがゆえに、今にも灯が消えそうなおばあちゃんを見ていると、人間の思いそのままで、アマチャンに懇願してしまう自分がいました。
助けてくれ
と。
でも、その都度、魂の奥底では、光輝いているおばあちゃんの旅たちを理解している自分もいます。
素晴らしい輝きを放ち、もう人間臭くないおばあちゃんのエネルギー。
喜びでもあります。
私は喜んだり、人間の記憶が消えればいい
と恨んだり…
けど、
私が結婚した後、おばあちゃんと離れ、たまにしか会えないけれど、元気にいれたのは、そのおばあちゃんとの記憶があんたを元気にしてたのよ
ってアマチャンがいいました。
例え一緒に過ごしていても、仕事して離れている時、寂しかったり泣いたりしないのは、その人の記憶が、私たちのなかで生きているから。
愛する人の笑顔が自分の記憶の中に生きているから。
無意識に寂しくないのです。
死を迎えると、人間という物質は脱ぎます。
おばあちゃんも肉体は脱ぎます。
会いにはいけないし、いない。
けれども、
離れて暮らしていたときと何ら変わらず、私の中には、おばあちゃんはいます。
それを思い出すから、会えなくても元気で笑顔でいれたんです、私。
それとなんにも変わらない
アマチャンにそう教わりました。
人間としては寂しいです。
けれど、魂では、神様がいっぱいそばにいるおばあちゃんをみると嬉しいです。
私は人間だから、
まだまだ、揺らぎます。
けど、諦めずに頑張っているおばあちゃんに、私も笑顔で会いに行こう。
その日が来るまで。