熊本地震で阿蘇大橋が崩落し、住民が分断された南阿蘇村。村唯一の中学校では、生徒らの転校が相次ぐ。
≪大好きな村がバラバラになっていく≫
村が用意した寄宿舎で過ごす生徒会長の中学3年、河津奏人(かわつかなと)さん(14)は
焦りを感じている。
≪地震のせいで将来が変わるのは嫌だ≫
若さをエネルギーに復興を誓う。
*被災者をサポート
河津さんは、父の進さん(50)らが営む温泉旅館「地獄温泉 清風荘」に併設する自宅で被災した。
ふもとに通じる道は全て断たれ、宿泊客とともに身動きがとれなくなった。
facebookに「完全孤立状態です」と書き込んで助けを求め、自衛隊ヘリで救出されて避難所に入った。
熊本市内に祖母の自宅があり、母の朋子さん(51)は避難を検討。
だが、河津さんは「ここに残りたい」と訴えた。救援物資の運搬や食事の配膳、高齢者への声かけなど避難所でボランティアをしながら、学校再開を待った。
*転校せずに残って!
5月上旬に再開のめどは立ったが、交通網が寸断され、通学が難しい生徒も多い。
村はそうした生徒のために寄宿舎を開設。河津さんは家族とともに入寮し、転校しそうな友人にlineで呼びかけた。
≪頼むから転校しないでくれよ≫
≪俺は寮に入るけど、一緒に来ないか≫
朋子さんは「それぞれ家庭の事情があるのだから…」とたしなめた。
しかし連絡をとり続けた結果、友達2人は残ってくれた。
*僕らの世代が………。
5月9日、学校は再開したが、別れを言えずに離ればなれになった友人が何人もいた。
今年度は、村内の3つの中学校が1つになり、南阿蘇中としてスタートした節目だった。
その生徒会長に就いていた河津さん。約100人の3年生がそろう学年集会で自然に言葉が出てきた。
「僕らの世代が頑張って、元の町にしていきましょう」
「家に帰りたい」と思うこともあるし、地震の後から体調も優れない。
だが、河津さんは、寄宿舎に避難している被災者のため、救援物資の運搬などに汗を流す。
ストレスをため込む小さい子らの話し相手にもなっている。
河津さんは、自分に言い聞かせるように語った。
「生徒会長の自分がめげてはいけない。大好きな南阿蘇でこれからも暮らし、いずれは清風荘を継いで、お客さんでいっぱいの宿にしたいと思っています」