二つの被災地つなぐ使命胸に! | チョコの一言物申す!    【熊本、大分、九州応援隊】

チョコの一言物申す!    【熊本、大分、九州応援隊】

障害者の私と愛犬チョコの成長を基本にいろんな話題をブログして勝手な事を言います(*^▽^*)
今は熊本地震の被災者、被災地などに正確な情報を提供をしてます。


 4月14日午後9時26分、古里の熊本が一瞬で被災地になった。被災地という言葉はそれまで東北を指すと思い込んでいた。同15~26日、現地を取材し、熊本と東北の二つの被災地の現状を伝え、つなぐことが使命だと感じた。

 実家は熊本市東区沼山津(ぬやまづ)にある。大きな被害を受けた益城(ましき)町と隣接し、町役場まで約4キロと近い。繰り返しテレビに映し出される見慣れた建物が倒壊した風景。混乱と不安で、居ても立ってもいられなかった。職場に駆け付け、現地取材の許可を得た。

 15日早朝、仙台を出発し新幹線と飛行機を乗り継ぎ、約6時間後に熊本に着いた。家族や実家は無事だったが、庭には最大約20センチ幅の地割れが何本も走り、隣家の境のブロック塀が崩れている。地震の威力をひしひしと感じた。

 1.5キロの小学校の通学路。夏に暑さをしのいだお堂はつぶれ、道は瓦が散乱し、ひっくり返った建物でふさがれている。台風や大雨はよくあるが、まさか地震が起きるとは。当たり前に存在し続けると思っていた景色の無残な変わりように、胸が締め付けられた。

 共同通信社の記者で、昨年5月から河北新報社に出向している。東日本大震災の被災地の人々が人口減少に適応しながら、心豊かに暮らす姿を描く連載「適少社会」を担当、宮城県南三陸町や石巻市を取材した。

 東北の震災前や直後の風景を知らない。取材で話を聞き想像するしかなかった。古里を失う苦しみ、悲しみ、むなしさ-。わが身に起きて初めて、痛いほど分かった。今までどこか人ごとだったのかもしれない。

 16日未明、実家で就寝中に本震が起きた。震度6強。ジェットコースターのように全身が大きく揺さぶられる。家じゅうに物が散乱し、消防車や救急車のサイレンがひっきりなしに聞こえる。朝、街を歩くと、明らかに状況が悪化した光景が広がっていた。

 取材は東北と熊本の両方の視点を意識した。震災を機に南三陸町に移住し、今回、熊本でボランティアに奮闘する益城町出身の同い年の女性。石巻での医療支援の経験を糧に、避難者の心のケアに当たる熊本の医師。頭にタオルを巻き、避難所運営に奔走する小学校時代の担任。地元のために必死に踏ん張る同郷の人。皆に奮い立たされた。

 河北新報の腕章を着けて避難所を歩いていると、避難者や支援者など多くの人が声を掛けてきた。「震災を心配していた」「東北にもボランティアで行った」。熊本をはじめ、全国各地の人が今も東北に心を寄せてくれていた。その思いにもまた、鼓舞された。

 実家の近所や幼なじみの被災した家は、引っ越したり建て替えたりすることになったと聞く。慣れ親しんだ地域の変容に、むなしさがあふれる。東北の被災地で見聞きした状況が、目の前の現実となった。

 1000キロ以上離れた二つの被災地のはざまに立ち、これからも「伝える」という使命を精いっぱい全うしたい。それが私にできる熊本と東北の復興への貢献だと信じている。