


先日、携帯電話の
電池交換にお店に
行った。
普段展示してある
携帯の機種の
コーナーのスペースが
3/2はスマートフォンで
3/1が携帯電話。
電池交換の待ち時間の間
そのコーナーを見ながら
店員の人に
「こんな状態だったら
そのうち全部スマホに
なって、携帯電話なんて
無くなるんじゃない?」
って聞いたら
「完全に無くなるとは
思いませんが、少なくは
なっていくでしょうね」





最近の色々な技術製品の
進化は目まぐるしく、
目覚ましいばかりで
物理的には人類は
便利で豊かになった。
数日前、子供が雑貨店に
行った時の事。
店内には何人かのお客さんがおり、その中に中学生の女の子が独り言をぶつぶつとつぶやいているのに気がついた。
何て言っているのかよく
聞こえなかったから
側まで近づいて行った。
よく聞いてみたら
『有って便利は無くても
いい。』
『有って便利は無くても
いい。』
をずっと呪文の様につぶやいていたらしい。
っという事を話してくれた。
「その子はいつも親から
言われているのかな?」
そうなのさ。
『有って便利は無くても
いいのさ。』
有って 「便利」 で
随分と助かっている物は
沢山有るけれど、
「便利」 の価値観が
よく分からなくなって
本当に必要なのかが
自分でも分からなくなってきた。
勿論、その『物』の
必要性は人それぞれの
状況や環境によって
違うから、
一つの製品に限って
「必要」の是非を
問うのは違っているのかもしれないけれど…。
会社の昼休みの時、
たまに小説を読む。
20代の若い男の子から
「ipadは使わないんですか?」
って、「使う」前に
買わなきゃいけんだろう。簡単言うな~。
「私は頭が悪いから、あんな画面上でペラペラとページをめくったって頭に入っていかない。自分の手で一枚一枚ページをめくって、はじめて読んだ気がするね。人それぞれ!」
今使っている携帯電話も
随分古い機種。
今回も電池を交換する際に買い替えようかと迷った。
色んな製品を開発、発明していく上で、『人』の
ニーズを捉え、それに
応えられる
『ものづくり』が
本来の姿だったのに、
最近のこの様な世の中を
見ていると、何か
『人』が 「物」 に合わせている気がする。
『物』に使われている
「人間」 です。
そんな古い機種と思っている今の私の携帯電話。
多分、半分も機能を網羅して使いこなしているのかとそれさえもよくわからん。
今だに 「これは何だ?」と
思う画面が不意に出た時は眉間にシワがよる。
職場の今のフロアには
25人くらい居るけれど、
幸いここの人達は
ローテクらしく、スマホは2人だけ。
多分私はスマホは買っても使いこなせない。
(年だから…のせいにしておこう)
このまま携帯電話が
無くなってスマホしか
なかったら、きっと私の
携帯電話人生は幕を閉じる。
今はこれも時代の流れで
子供の学校の保護者の緊急連絡先を、数件提出しなければいけない。
携帯電話の番号も載せている。
だから子供が社会人になってそういう事が無くなったら要らないのかな?
願わくば子供が社会人になるまでは、携帯電話は有ってほしい。
この『情報社会』の
世の中で必要不可欠と
言われる色々なツール。
いいんです。
『情報』のキャッチに
とり残されても。
その『情報』も
いい加減だったり、
ウソだったり…
今の世の中、『物』が
進化して発展?
したからって世界規模で
見渡してても決して
良い状況ではない。
『物』の豊かさに、
『人の心』の豊かさが
ついて来ない。
何か疲れましたね


私が大金持ちで事業の才能が有るならば、世の中にあえて逆行してあらゆる物の『便利』の不必要を削ってシンプルにいきたい。
誰か居ないのかしら。
そんな事をしてくれる人。









