ご訪問ありがとうございます☆
今日は春分の日です。
スピリチュアル的には、また変化が加速するそうですね。
そんな私ですが、ブログをやめる事にいたしました
昨日の時点ではそんなつもりはなかったんですが、
「ふと」その時なんだと「降ってきた」ので、そうする事 にしました。
私の中でシフトが起きて、もう報告する事がなくなったのです。




母の死から約10ヶ月。
1ヶ月の子を育てながらの介護。
死後も、悲しみの中初めての子育てをするのは容易ではありませんでした。
子どもが産まれたからこそ、自分が母にこんなにも愛されていた事を思い知る日々。
子どもへの愛が大きくなる度に、母からの愛を知る。
嬉しいはずなのに、子どもの成長が私を苦しめる。
本当に苦しい苦しい1年でした。
闘病期間はもっと長いので、社会人になって6年くらいはずっと苦しかった。
それが、今こんなにも幸せで周りにも助けられ、世界は本当に優しい。




社会人になり、実家に母と二人暮らしをすることになった。
会社は本当に辛かった。
なんでこの職場になってしまったんだろう?
でも、今ならわかります。
「私は、母と一緒にいたかった。」
これが、私の魂の答えだったのです。
なぜあんなにも就活がうまくいったのか、今ならわかります。
銀行員は絶対嫌だと思ってたのに、なぜか衝動にかられたこと。
採用試験に1回落ちたけど、なぜか筆記試験が女子でトップだったということで、一次試験しか受けてないのに採用されたこと。
(形だけでもいいから、ということで後日役員面接に呼ばれた)
あっさり2ヶ月で就活が終わってしまったこと。
そう、この会社じゃないと「母と一緒に暮らす事」が叶わなかった。
だってそこの一般職は、「実家から通うこと」が条件になっていたから。
総合職を受けて落ちたけど、一般職で拾ってもらった。
異例だけどって言われて。
今思うと、全てが完璧だった。
出産の時期についても、ベストなタイミングだった。
この時期じゃなかったら、私は2度の再発に母を助ける事ができなかった。
昨年6月、地元の友人に誘われて実家に帰った。
妹は姪っ子の姿を見たいと言って、わざわざ帰省した。
東京から戻った兄も、父もいる。
家族みんな顔を合わせ、母方の親戚も来て、その3日後に母は亡くなった。
こんな完璧な最期ってある?
最期に私の娘の名前を呼んでくれた母。
私の母は、愛そのものになった。





全部自分で決めた事と思っていたけど、衝動だったり、自然な流れで、まさに完璧な出来事を体験した。
母の死を境に自分の生きる道を模索し続けて、本当は全部自分の中に答えがあることを知りました。
まだまだ旅の途中だけど、私はきっと大丈夫。
波もたくさんあるし揺さぶられるけど、私はきっと乗り越えるんでしょうね。
このブログをやめる事で、他人との比較をやめ、自分自身に還ろうと思います。
自分を変えるために、えいっと飛び込んだブログの世界。
自己開示が苦手で壁を作ってしまう私にとって、とても勇気のいる行為でした。
自分を見つめ直す良い機会になりました。
もう、自己表現は必要ありません。
なんとなく、うっすら道が見えてきたので。
バシャールが、
「私は正しい道に乗っていると知っています。なぜなら、私の存在が道そのものだから」
と言っていました。
そう、私達は現実に過剰反応してるんです。
しかも、その反応は「世間体、他人の評価」など、
「自分がどう見られてるのか、世間一般的にはどの位置にいるのか」とか、
他人の色眼鏡で反応している事が多いんです。
smapの「世界にひとつだけの花」という曲の世界は受け入れているのに、それを評価する「眼鏡」はみんなと同じ眼鏡をかけようとしています。
本当は「違う花」だし「違う眼鏡」なのに。
だから、「違う眼鏡」をかける勇気が必要ですね。
どんな事が起こっても、自分を愛する眼鏡。
とでも言いましょうか(笑)
「高次の自分の視点」
を採用する、という言い方の方がしっくりくる人も多いでしょうね。
私もまだまだ「エゴ・思考」が大暴れする時もありますけど、この視点を忘れないように、楽しんでいこうと思います
ブログに関しては、その内また「ふと」がくるかもしれませんしね。
未来はわからないけど、楽しみでもあります。
長い間、ありがとうございました
愛を込めて
今日は春分の日です。
スピリチュアル的には、また変化が加速するそうですね。
そんな私ですが、ブログをやめる事にいたしました
昨日の時点ではそんなつもりはなかったんですが、
「ふと」その時なんだと「降ってきた」ので、そうする事 にしました。
私の中でシフトが起きて、もう報告する事がなくなったのです。




母の死から約10ヶ月。
1ヶ月の子を育てながらの介護。
死後も、悲しみの中初めての子育てをするのは容易ではありませんでした。
子どもが産まれたからこそ、自分が母にこんなにも愛されていた事を思い知る日々。
子どもへの愛が大きくなる度に、母からの愛を知る。
嬉しいはずなのに、子どもの成長が私を苦しめる。
本当に苦しい苦しい1年でした。
闘病期間はもっと長いので、社会人になって6年くらいはずっと苦しかった。
それが、今こんなにも幸せで周りにも助けられ、世界は本当に優しい。




社会人になり、実家に母と二人暮らしをすることになった。
会社は本当に辛かった。
なんでこの職場になってしまったんだろう?
でも、今ならわかります。
「私は、母と一緒にいたかった。」
これが、私の魂の答えだったのです。
なぜあんなにも就活がうまくいったのか、今ならわかります。
銀行員は絶対嫌だと思ってたのに、なぜか衝動にかられたこと。
採用試験に1回落ちたけど、なぜか筆記試験が女子でトップだったということで、一次試験しか受けてないのに採用されたこと。
(形だけでもいいから、ということで後日役員面接に呼ばれた)
あっさり2ヶ月で就活が終わってしまったこと。
そう、この会社じゃないと「母と一緒に暮らす事」が叶わなかった。
だってそこの一般職は、「実家から通うこと」が条件になっていたから。
総合職を受けて落ちたけど、一般職で拾ってもらった。
異例だけどって言われて。
今思うと、全てが完璧だった。
出産の時期についても、ベストなタイミングだった。
この時期じゃなかったら、私は2度の再発に母を助ける事ができなかった。
昨年6月、地元の友人に誘われて実家に帰った。
妹は姪っ子の姿を見たいと言って、わざわざ帰省した。
東京から戻った兄も、父もいる。
家族みんな顔を合わせ、母方の親戚も来て、その3日後に母は亡くなった。
こんな完璧な最期ってある?
最期に私の娘の名前を呼んでくれた母。
私の母は、愛そのものになった。





全部自分で決めた事と思っていたけど、衝動だったり、自然な流れで、まさに完璧な出来事を体験した。
母の死を境に自分の生きる道を模索し続けて、本当は全部自分の中に答えがあることを知りました。
まだまだ旅の途中だけど、私はきっと大丈夫。
波もたくさんあるし揺さぶられるけど、私はきっと乗り越えるんでしょうね。
このブログをやめる事で、他人との比較をやめ、自分自身に還ろうと思います。
自分を変えるために、えいっと飛び込んだブログの世界。
自己開示が苦手で壁を作ってしまう私にとって、とても勇気のいる行為でした。
自分を見つめ直す良い機会になりました。
もう、自己表現は必要ありません。
なんとなく、うっすら道が見えてきたので。
バシャールが、
「私は正しい道に乗っていると知っています。なぜなら、私の存在が道そのものだから」
と言っていました。
そう、私達は現実に過剰反応してるんです。
しかも、その反応は「世間体、他人の評価」など、
「自分がどう見られてるのか、世間一般的にはどの位置にいるのか」とか、
他人の色眼鏡で反応している事が多いんです。
smapの「世界にひとつだけの花」という曲の世界は受け入れているのに、それを評価する「眼鏡」はみんなと同じ眼鏡をかけようとしています。
本当は「違う花」だし「違う眼鏡」なのに。
だから、「違う眼鏡」をかける勇気が必要ですね。
どんな事が起こっても、自分を愛する眼鏡。
とでも言いましょうか(笑)
「高次の自分の視点」
を採用する、という言い方の方がしっくりくる人も多いでしょうね。
私もまだまだ「エゴ・思考」が大暴れする時もありますけど、この視点を忘れないように、楽しんでいこうと思います
ブログに関しては、その内また「ふと」がくるかもしれませんしね。
未来はわからないけど、楽しみでもあります。
長い間、ありがとうございました
愛を込めて