自分のこと よく分かってるつもりだったけど

ちゃんと振り返ったことってゆーか掘り下げたことあんまり無かった気がして


じっくり考えてみました。




私はいつも 抑えられている感覚が強くて

口癖は

『~すべき』

『普通は~』

『理解出来ない』


人に対してもそうなんですが、自分に対してはもっと強くこの言葉を吐きつづけてきた気がします。

『人としてキチンとしてなければ』

『誰かに迷惑をかけないようにしなければ』

『普通と違う 恥ずかしいことはしないようにしなくては』


これはかなり強く刷り込まれていて

自分の本当の考えだと信じて疑いませんでした。

それなのに

この抑えられている感覚はなんなのか?


これは、私の考えではないからじゃないのかな?


更に深く入っていくと、

だんだん みえてきた。


『親』です。


両親は とても優しくて 愛情があって

自分でも感じるし、他人からみても分かるほど 私はとても大切に育てられてきました。


そんな大好きな両親からの言葉に


知らない内に傷つき、自分の心にフタをした 幼い私がみえてきました。


夢を語れば

『そんなバカなこと言わないで』

英会話、ピアノがしたいと言えば

『ダメ。どーせそこまでやりたくないでしょ』


母親はスポーツが好きでした。

習い事はもっぱら スポーツ。


父親は 書道をやれと言いました。

私が自分からやりたいと言ったことは あっさりと却下されたのです。


最近になって いつもダメって言ったよねと話をしたら

『ダメって言われてもやりたいと粘ることがなかったじゃないか。そんなのはどーせやってもすぐやめる。』


一見筋が通ってるように感じるこの言葉に違和感を感じました。


親が絶対的存在だと思っていた小さな子供にとって親の『ダメ』はすべてだと思った。

それだけ親を慕い尊敬していたからです。

そんな小学生がダメと言われてまでの情熱をイキナリ持てるものでしょうか?


大好きな親の反対を押しきってまでやる勇気なんてなかった。

だから私は 姉の真似をしました。

姉がやったことには親は免疫がついていたからです。


それから 心を許せる友達の前では 夢を語りました。


それでやっと少し自由だと思えた。

本当に好きなことは全部自分の胸の中に秘めて。

家族には知られないように。


小学生でSPEEDを知り 音楽を感じながら歌って踊る彼女達に強い憧れを抱き

高校生の時には ブリトニー・スピアーズやジェニファーロペス、マライアキャリーに憧れました。

自分で作詞した曲が歌いたくて 授業中に詞を書いたり、家から誰も居なくなったら DVDをみて 大声で歌ったり踊ったりして 一人の時間を楽しんでいました。


学校では 親から支援してもらい ダンススクールに通う子が何人かいるのを 羨ましく思いながら

いつか、絶対 この子達がビックリする歌手になるんだと心に誓ってたんです。



上京する時に、10年後の自分宛に簡単な手紙を書きました。

『マライアキャリーのような歌手になってる』

そう書いたと思います。


上京して 働いた自分のお金で 好きな音楽スクールに通いました。

オーディションも受けました。

人前で歌うこともしました。

アメリカに留学もしました。

それでも

私は 幼い自分の思い込み、劣等感からどうやって抜け出したらよいのかわからずに

夢を叶えることができずに 諦めたところです。

自分には 向いてなかったんだ。と。


でも そうじゃないかもしれない。向いてる、向いてないより やりたいか、やりたくないかです。

人目を気にして、評価を気にしていた私が夢を叶えれていないのは当たり前でした。


どーにかして 世間に、両親に認められたかったんだろうと思います。

だから いつまでたっても 好きなことを披露するだけなのに 震えるんです。

評価を気にしない というのは 口で言うほど簡単ではなく 根底に『認められたい』という気持ちがあるかぎり 抜け出せられないということに気づきました。


『人に認められたい』→『自分を認めよう』

にシフトチェンジしたら 変われるかもしれない。


振り替えると 沢山自分に謝りたいです。

後悔ではありません。 ただ、

『辛かったね。抑えつけてごめんね。』

と言いたい。


環境は選べなかったけど ずっと抑えつけたのは 私自身だから。



私が一番私を認めていなかったから。


劇的に変わるか分からないけど 毎日自分に感謝の言葉をかけて 毎日褒めてあげよう。

私の中の小さい私に自信をあげよう。



そしたらきっと もっと 素敵な人生になると信じてます。