つい最近までこんな写真を撮っていたのに…(驚)
本日早くも節分ですね〜というか2月になりました!
さてさて、2月は私のお誕生月です。
季節ごとの行事がもともと好きなことと、ひとつ歳を重ねるにあたり思うところが多い、というので毎年何かと振り返りたくなるのがちょうどこの節分の頃。
自分にとっての節目、ということもあり、今日のブログはここのところの想いのまとめなどしようかと思います。
誰に向けて、といえば完全に自分に向けてなのですが、何だか急にこれを語りたくなった(笑)
テーマは、「真面目とご自愛」。
♡♡♡
ここ数年、ずっと「ご自愛」というものについて考えてきていました。
なぜかといえば私にとっての苦手分野であり、人生かけた課題であり、そして私のスピリチュアルに生きるということの定義が「自分と仲良くなる」であったから。
お陰さまで、いろんなかたのサポートを得ながら徐々に取り組むことができ、数年積んできた結果としてだいぶ「ご自愛とはなんぞや」ということの感覚が掴めてきたように感じていますが、その中でふと思い出したことがありました。
なにかといえば、私、ひとから言っていただく褒め言葉のダントツ1位が「真面目」なのですが、これがものすごーくイヤ!!!!だった時期があったなあ…ということ。
理由はいろいろなのですが、まず、真面目、まじめ、マジメって、親からも他の大人たちからも同級生からも言われ続けていたので、私は他に取り柄がないんかーい!と感じていたから。
頼むからその単語で片付けるのはやめてくれ…と真面目と言われるたびに内心笑顔を引きつらせていた、そんな10代の頃。
ガラスのハート時代でした。
中身は別にそんなにお堅くないから、真面目というイメージで私を見過ぎないでほしいのにーという嘆きもあったし。
地味にまとめられるのも腑に落ちなかったし。
実際、不真面目でテキトーなところも多いので(*当社比)本当にちゃんと真面目なひとはものすごくきちんと真面目なのだよ…と変に卑屈になっていたところもあったのです。
まあでも、真面目に見られたおかげで先生方からは随分可愛がっていただいたし(中高大と、先生には恵まれた自負はある)、ちょっと悪いことしても大目に見ていただいたこともあるので、真面目なイメージが100%ダメだったわけではないのですけれどねー。
でもこれは、後になったら言えることかな、とも思います。
当時は本当に本当にイヤで仕方なかった。
誰にとっても、呪いのようにつきまとってくることって大なり小なりあると思うのですが、私にとって「真面目」という言葉がまさにそれでした。
真面目、という響きとカテゴリーの呪いにおもーくのしかかられている気分だったのです。
続きます。