オウム真理教とは
私はオウムとの関係は一切ありません。
事件の風化を防ぐためにこのような物を作りました。
オウム真理教とは化学兵器サリン vx 青酸ガス
生物兵器ボツリヌス菌 炭疽菌 を使って数々の凶悪事件を起こしてきた宗教団体です。
1 オウムが起こしてきた事件
オウムが起こしてきた事件は色々あります。
1989年2月10日ー男性信者殺害事件
1989年11月4日ー坂本堤弁護士一家殺害事件

1994年1月30日ー薬剤師リンチ殺人事件
以前から教団の方針に疑問を持っていた被害者が、オウム真理教付属医院で治療を受けていた知り合いの女性信者とその息子を教団から救出する計画を立てます。上九一色村にある第6サティアンに移された女性信者を1994年1月30日に救出に向かいますが、発見され救出作戦は失敗してしまいました。
捕まった被害者は麻原の部屋に連れていかれ、催涙スプレーを噴射されるなどの拷問を受けます。そして麻原は女性信者に向かって「被害者を殺害すれば開放してやる」と発言し、悩んだ末女性信者は被害者を絞殺しました。
1994年6月27日ー松本サリン事件

1994年12月12日ー会社員VX殺害事件
1994年12月12日に起こったオウム真理教幹部たちによる、猛毒の神経剤VXを使用した殺人事件です。この事件の被害者は世界で初めてのVXによる死者に記録されています。
被害者である会社員はオカルト雑誌で知り合った女性に教団に勧誘されたためオウム信者だとわかり関係を断りましたが、教団からの勧誘はしつこく続きました。
被害者が柔道をやっていて警察の道場に出入りしていたこともあり、教団の諜報活動によって被害者は公安警察のスパイではないかと勘違いされます。事実そんなことはありませんでしたが、報告を受けた麻原は妄想を膨らませた結果この会社員の殺害を命じました。
1994年12月12日、ジョギング中だった被害者に教団幹部らが注射器でVXを噴射し、直接薬品に触れてしまった被害者は直後倒れ込み死亡しました。
1995年2月28日ー公証人役場事務長逮捕監禁致死事件

オウム真理教が目黒公証役場事務長だった男性を拉致監禁し、拷問の末殺害した事件です。
被害者の妹は1993年10月頃にオウム真理教に入信し教団に数千万円を布施していましたが、教団はさらなる布施と出家を要求したので、教団から逃げ出し兄である被害者に匿われていました。そのため教団は妹の居場所を探るため被害者を拉致しました。
教団は被害者を上九一色村の第二サティアンに監禁し、麻酔薬を投与して妹の居場所を自白するよう強要します。しかし被害者は決して居場所を教えなかったため麻酔薬の投与を続けた結果、1995年3月1日午前11時頃に麻酔薬の過剰投与によって死亡しました。
1995年3月20日ー地下鉄サリン事件

| 誕生日 | 1955年3月2日 |
| 没日 | 2018年7月6日 |
| 生地 | 熊本県八代市 |
| 没地 | 東京都葛飾区小菅 東京拘置所 |
| 配偶者 | 松本知子 |
| 埋葬場所 | 未定 |
麻原彰晃、本名・松本智津夫は1955年に熊本県八代市で生まれました。9人兄弟の7番目(四男)で、先天性の緑内障のため、左目にはほとんど視力がなかったそうです。
6歳から20歳までは、熊本県盲学校に通うために寄宿舎生活となりました。その後は東大を目指して予備校に通いますが、そこで知り合った石井知子と結婚、鍼灸院や漢方薬局を開きます。それが後々、宗教団体を作ることにつながっていきます。
麻原が作った宗教団体「オウム真理教」が大きくなるにつれて、彼には政治の世界に参入したいなどの野望が生まれます。当然これはまったく上手く行きませんでした。その腹いせのように1995年、オウム真理教は地下鉄サリン事件などの凶悪事件を起こし、麻原彰晃とその側近は逮捕されます。
2004年には死刑が確定、2018年には執行されました。
麻原はなぜオウム真理教を作り事件を起こしたのか?
貧しい家庭で育った麻原彰晃は、全盲でないのに盲学校に入れられたことを親に捨てられたと感じ不満を感じました。彼は大きな不信感に囚われ、金に執着するようになります。信じられるのは金だけという事実が彼の根本になったのです。
その後、結婚して家庭を作った麻原彰晃は鍼灸院や漢方薬局を開きますが、いくら治療をしても本当に患者は救えないという無力感に苛まれるようになります。こうして宗教にのめり込み、結果としては自分で宗教団体を作ることになります。
こうして作られたオウム真理教の中でも麻原彰晃の不信感はなくなることはありませんでした。自分を認めないもの、自分に従わないものはすべて壊してしまいたいという欲求によって次々と凶悪な事件が起こされます。事件の実行犯となった信者たちもまた、世の中への大きな不信感を抱えていたようでした。
麻原彰晃の作った家庭

1978年に、予備校時代に知り合った石井知子と結婚、千葉県船橋市に新居を構え、同時に「松本鍼灸院」を開業します。すぐに3人の女の子(後に4女、長男、次男も加わり6人姉弟に)に恵まれますが、そのころから麻原彰晃は薬事法違反で逮捕されたり、宗教にのめり込んだりしていました。
その結果妻の知子は情緒不安定となり、家出を繰り返したそうですが、娘たちは父親のことが大好きだったようです。
オウム真理教が誕生するとさらに麻原彰晃は家に帰らなくなります。しかし、次女は父が家に帰ってきたときの喜びをこのように表しています。父親を心の底から信頼していた次女の気持ちが伝わってきます。
麻原彰晃の最後

麻原彰晃は2002年の公判を最後に意味のある発言をしなくなり、意思の疎通が取れなくなりました。これが精神などの病なのか、それとも死刑を回避するために病を偽っているのかが、問題になりました。
これは刑事訴訟法に次のように定められているためです。
死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によって執行を停止する
しかし、麻原の娘たち(次女と三女)とかつての側近では意見が違い、病なのかそうでないのかはハッキリと分かっていません。結局、麻原彰晃は側近ら6人とともに死刑が確定、2018年に執行されます。
麻原は死刑執行の際に遺体の引取人について四女と口にしています。このことからは彼が正常だったことが感じられます。長年の拘置所での生活やかつての側近が自分に反旗を翻したことなどで、麻原は現実逃避をしてしまったのではないでしょうか。
名前を「Aleph」や「ひかりの輪」などにして現在も活動しています。
「Aleph」や「ひかりの輪」の事件は起きていませんが起きる可能性が0というわけではないので安心していない方がいいです。
「Aleph」や「ひかりの輪」に勧誘されても入らないようにしましょう。
今はネットなどが普及しているのでネットなどで勧誘されても宗教だと感じたら断りましょう。
これは事件を馬鹿にしているのではなく事件を知らない人にも知ってもらいたくて書きました。