ちょびとさよ -2ページ目

ちょびとさよ

いっぱいのスキを少しずつ日記にします

本日ちょびネコの誕生日バースデーケーキ

17歳になりましたクラッカー

相変わらず病院に行くことも多いですが・・・

一生懸命ご飯も食べます

ご飯待ちのちょびネコ

必死で食べるちょびネコ

そしてお誕生日のプレゼントは

首輪ちょびネコは赤が似合う(親バカ)

あごがかゆいちょびネコに美顔ごろごろ猫用

 

これからも楽しい毎日をすごそうね

 

毎日大変な日が続いていますね

またまたご無沙汰のさよです

 

久しぶりにパソコンを開けると

大好きだったにゃんこちゃんが虹の橋を渡っていたり

辛いことが多いです

 

ニュースも同じ内容ばかりテレビも再放送が多い

さよは病気がありますから用心に用心を重ねて

生活をしています

 

ルールを守れなかったり

マスクなしでガンガン話しかけてくる人もいます

共存していくにはそれも仕方ないかなと思います

 

それでも・・・

もしうつったら亡くなってしまう人がいることを

わかってほしいと思うのは

さよのわがままでエゴなんでしょうかね~

 

ちょびばあちゃんはヨタヨタながら元気にしています

 

 

本日はちょびの誕生日バースデーケーキ

16歳になりました。

ほとんど寝てますが

毎日撫でて~とリビングに来ます

旦那にブラッシングしてもらって

また寝室にいきます

歩くのもゆっくりになりましたが

ごはんもちゃんと食べています

子供ならもう高校生

そう考えるとやっぱり家族

ずっと一緒にいたいです

ちょびと旦那とさよ1にゃんと2人で

ゆっくり過ごしていけたら

それで充分です

これからもよろしくね

 

2019年4月5日20時34分

父が亡くなりました

(ホスピスは家族が揃い一緒に臨終を確認するため

少し落ち着いてからとなります)

 

19時頃母より容態が急変したと

連絡が入りました

すぐに駆け付けましたが間に合いませんでした

誰も間に合いませんでした

 

母はお昼に一緒にご飯を食べたのに

朝にお風呂も入ったと話していたのにと

泣きました

 

さよが父の手を握ると、まだ暖かかったです

母は泣き続けましたが、さよは不思議な感じで

実感がわきませんでした

 

いろいろな手配をしないといけないと

いう気持ちがあり黙々と業務をこなすように準備していきました

旦那もよく動いてくれました

 

23時頃岡山から姉夫婦が到着しました

大阪や京都から甥っ子も来ました

 

体を拭いていわゆるエンジェルをしてもらいました

ガリガリに痩せた父の足をさよも拭きました

散歩が大好きでホスピスに入ってすぐ

今何がしたい?と聞くと

散歩と父は答えました

それが亡くなる2日前にほとんど歩けず

自分でトイレにいこうとしてコケてしまったそうです

歩けないことがどんなに情けなく辛かったろうと

思うと今も胸が熱くなります

 

桜が見たいという父に先生は厳しいかなと言いました

さよは花屋さんで桜を買って病室に持っていきました

父は「きれいや きれいや 桜が見れた」と

喜んでいました

 

食べたいものはあるか聞くと

ケンタッキーのあばらのところと言いました

さよが1つだけ買っていくと美味しいと半分以上食べてくれました

 

4月7日日曜日家族だけの葬儀を行いました

とても晴れた日で義母は父が生まれた時も

良いお天気だったでしょうねと言いました

小さな小さな葬儀でしたが家族みんなで送ることが

出来ました

夜父の話をしながら家族水入らずでお寿司を食べました

 

火曜日旦那が桜を見に行こうと言ってくれました

旦那もかなり疲れているはずなのに

2人で出かけました

父も見たかっただろうと

さくらを見ると少し寂しくなりました

そのあと猫寺にも行きました

連れて行ってくれてありがとう

 

父は強い人でした

最後までみんなにありがとう ごめんね

気遣いの人でした

最後も夕食のお粥に塩を入れスプーンでくるくる

混ぜていたところまでは看護師さんがいて

離れた間に吐血し意識がなくなったそうです

でも穏やかな眠るような顔でした

最後まで誰にも迷惑かけずに逝きました

先生が

「最後に僕が聞いた言葉はありがとうだった

と言い、あんなに穏やかなお父さんは今までも

見たことがない、私の方が癒されてました」と

言ってくださいました

看護師のみなさんにも同じように言ってもらい

そんな父を誇りに思いました

亡くなる前にぺーが来たと何度も続けて

言っていたそうです

(ぺーとは父が可愛がっていた犬で少し前に亡くなっています)

きっと大好きなぺーとこれからは辛さからも

解放されて楽しく天国で過ごすと思います

 

パパ ありがとう だいすき

 

 

 

 

 

 

 

このブログは自分の記録として
書きます。
見ていただいて暗くなって
しまわれたらすみません。

パパが余命宣告されたのは
2018年5月
あとどれくらい…1年ですか
2年ですかと聞くパパに
先生は半年と言いました。

病名は食道がんでした。
その後入退院を繰り返しながら
心筋梗塞のカテーテルの治療に
2回耐え頑張りました。

今年の2月24日パパの希望もあり
家に帰ることになりました。
家族で何度も話し合って決めました。
当日迎えに行くと、吐血しパジャマが
汚れていました。
家族としては連れて帰るのは無理とし
看護士さんに言いました

それでも帰りたいと言うパパの願いを
叶えることにしました。
看護士さんの何かあればすぐに
救急で受け入れるという言葉が
背中を押してくれました。

3月4日息が苦しくなり救急車で
病院に戻りました。
たった9日間でしたが家に帰ることが
できましたが、その間の母の疲れは
ピークになっていました
さよは同居していないので
ほとんど母にまかせっきりでした
恐くて逃げていたのかもしれません

これではいけないと思いました
母も80歳体は元気でも書類のことや
先生の話をすべて1人では
さよがやらなければと思いました。

3月6日ホスピスいわゆる緩和病院に
面談に行きました。
緊急性が高いのでなるべく早く
転院できるように先生たちが
手配をしてくださいました。

パパにはホスピスであることは
告げていません
先生もパパの病気の治療に特化した
病院と言ってもらっています

3月7日面談の翌日10時に転院となり
ました。
朝迎えに行くとパパはこんな急に
おかしいとゴネました
さよはもっとしんどいのを
治してくれる良い病院と言いました
先生も協力して説得してくれました

新しい病院で看護士さんに
キーパーソンを聞かれました。
パパを看護する中心となる人の事
だそうです
母になりました
その後看護士さんからキーパーソンは
母ではなく娘さん(さよ)にできませんか
と言われました。
おかあさんの顔がかなり
強ばってるから…
さよがやりますと答えました。

余命宣告の半年は過ぎているけど
頑張ってくれているパパ
あと半月ぐらいと言われましたが
さよは目一杯関わっていこうと思います

そして母が昨日パパが声を出して
笑ったと連絡してくれました。
久しぶりに見た笑顔で嬉しかった
みたいです。

パパは桜が見たいと言ってるので
奇跡の早咲きを願いたい
そして残りの人生を一緒に
明るく過ごしたいと思ってます

さよはパパとの写真1枚もないので
今度行ったらピースして撮ろう