今は夜の10時40分、本当はもう布団に入って寝ていなくては

いけない時刻ですが、、、

抗ガン剤投与の当日はいつも体の中がざわつく感じで眠れません。

明け方くらいまで眠りに落ちることができないこともよくあります。

そして今日は盟友の訃報に接し心が騒いでいます。

 

盟友 : 堅い約束で結ばれた友、同志

 

 

彼と実際に接した時間はほんの2週間前後だけ、けれど改めて盟友だったと

 

思います。

僕のガンが見つかり、数日後に胃からの出血で早朝の路上で倒れがんセンターに

緊急入院したのは2年前の8月末の事でした。

9月後半まで一か月弱入院し、その間にステージ4の晩期ガンであることや

抗ガン剤治療をしても平均余命13か月など、自分にとってはかなり酷な状況が

次々と告げられました。

病室は緊急入院した病棟から別の病棟に移動したり、その病棟でも空きベッドの

状況で2度ほどベッドを移動したりしていました。

そして丹沢山系が見える窓際のベッドに移り退院までの日々を過ごしました。

その時に隣の窓際ベッドに居たのが彼でした。

 

年は僕よりいくつも上で息子さんも成人している様子。

 

楽しいにぎやかな感じの人で、病室にはいつも家族、親族、友人、会社の人達が

入れ替わり訪れていてあまり一人の時間は無かった様子でした。

でもふと一人になった時などによく声をかわしました。

楽しかったですね。  

病状は僕とは異なりましたがやはり消化器系のガン、そして僕と同時期に

抗ガン剤治療を始めて同時期に退院していきました。

その後彼も僕も短期入院とか通院での抗ガン剤治療を続けることになっていました

から、お互い頑張ろうと誓いあったんです。  お互い医師の見込みは明るいものでは

なかったけれど。

 

退院後も回数は多くないけれどがんセンターでばったり会うことが何度かありました。

 

いつも息子さんが付き添って来ていました。

少しずつ良くなっていると言っていたからあまり深く心配はしなかったし、体力が

回復したらゴルフをやるんだなどと言っていましたから少しゴルフの話をしたり

僕の病状が食事療法のおかげで好転していることを簡潔に伝えて、お互い頑張ろうね

と言葉を交わして別れる、という事を何度か重ねていました。

最近も数か月前にばったりお会いした記憶があり、ゴルフも行っていると聞いていたように

覚えているのですが。

 

 

今日がんセンターの帰りに偶然息子さんに声をかけられました。

 

 

一人なので不思議に思い尋ねたら、先月亡くなったと、、、、、

でも4月までゴルフも元気にラウンドしていたとのこと、急に容態が悪くなったそうです。

少し詳しく説明してくれましたが、あまりのショックで耳には残りませんでした。

覚えているのは、もう細胞が死んできていてカリウムが流れだし心臓に急速に負担が

かかったらしいとか、最後は食べることもできない状態だったとか、痛み止めのモルヒネを

打っていたけれど最期は意識があり家族の声に反応していたとか、、、、、、

 

なんで死んでしまったの?

 

今まで僕は何人かの知人がガンで逝ってしまうのを見聞きしてつらい思いをしました。

けれど今日の彼は一緒に頑張ろうと病院のベッドの上で励まし誓ったいわば盟友。

ごめんなさい、 けれど涙が止まらず声を殺すこともできずに何度も泣きました。

なんで死ななきゃいけないのか。

人がガンから生還する方法は一通りではないと思います。 食事療法は有効だけれど

最後は人それぞれ、  でもなんでこんなに多くの人が若くして亡くなってゆくんだろう。

 

とてもつらい訃報でしたが、僕にそれを知らせてくれた偶然には感謝しています。

 

そして彼のご冥福を心からお祈りします。

ゆっくりお休みください。

 

 

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