分かること、分からないこと
その話、分かるよ、
とか、
何言ってんの、分かんない、
とか
言います。
もともと、
世界は分からない
ことだらけです。
研究というのも、
元々存在しているものを、
これはこういう仕組みで
動いてるんだと、
「分かる」ためのもので、
分かったら
何かに利用できるかもしれませんが、
基本、ただ分かりたいだけ
のためにやっています。
子供の時は
分からないことだらけだけど、
別に困りません。
元気に遊んでました。
大きくなると、
いろいろ覚えさせられて、
「それ知らないの?」
とか言われて、
その分だけ、
不安にさせられて。
分かることって、
それほど大事なことでは
ありません。
分かるといっても、
全体のほんの一部分だけで、
分かってないのと同じです。
分かることが、
意味があるのは、
何かをするときに、
分かった方が、
やりやすいというように、
あくまでも、
行動・作業のための
手段です。
分からなくたって、
10回、20回とやっていれば、
間違えを繰り返しながら
自然とできるようになります。
そっちの方が、
頭を使わずに、
体で覚えてる分、
自然体でできます。
無理に分かろうと、
しないでおきましょう。
分からないものは、
ほっときましょう。
そのうち分かるかもしれないし、
ずっとわからなければ、
そのことは、自分とは
縁のなかっただけのことです。
人から、
分かられなくても、
全然だいじょうぶです。
分からなくても、
人と付き合えますし、
分かっていると言っている人は、
そういう気になっているだけで、
分かっている訳では
ないからです。
逆に、
分かろうとするときは、
とことんまで、
もうこれ以上先まで、
絶対進めない、
というところまで
突き詰めましょう。
分かるって
そういうことだと思っとくと、
楽です。