3月9日、初めての家族の死を
経験しました。
重いブログになってしまうと思うけど
天国のおじいちゃんの為にも
書かせて下さい。
その日、わたしは
朝からGUでバイト、夕方から
列伝のライブでテンション高めに
赤坂に行った訳です。
終演後、僅か数十分後に
おじいちゃんがこの世を去って
しまったことを知るのは
帰宅してからでした。
3月に入ってから急に
調子が良くなくなってしまったらしく
入院生活を送っていたそうです。
実家の孫なのに
それさえも知らされていなかった。
親を少し憎みつつも、
心配をかけたくないという思い
なのかはわからないけども。
享年89歳。
大正、昭和、平成と
戦前、戦後を生き抜いた
立派なおじいちゃんです。
口数は少なかったけど
おばあちゃんにいつも叱られつつも
おばあちゃんのことが大好きで
帰りを待ち遠しそうに待ってたよね。
ぶっきらぼうで不器用な
おじいちゃんは最初は嫌だな、って
思ってたけど、歳を重ねる毎に
愛着が湧いてきて自慢のおじいちゃんでした。
正月に帰省したときに会ったのが最後。
わたしが東京に戻ってから
はるかも頑張ってるから俺も頑張るだ、と言っていたとおばあちゃんから聞きました。
だけん、頑張れなかったねえ、とおばあちゃんがおじいちゃんの亡骸を前にして言ったときは思わず涙しました。
50年以上の歳月を共にした
おばあちゃんが、泣いたり弱さを
見せたりしなかったのは
逆に辛かった。
家に帰ってから見たおじいちゃんの姿は、2ヶ月前とは程遠く、痩せこけてまるで別人でした。
可愛い顔してるら?とおばあちゃん。
そんな悲しいこと言わないでよ。
死に慣れてないわたしは動揺するばかりで。
不安定な気持ちのまま通夜、葬儀を迎えました。
おじいちゃんは1女7男の
8人姉弟の長男でした。
今回の出来事を通して
親戚の兄弟関係に詳しくなりました。笑
あのおじさんがおじいちゃんの弟なのね、とか。
12日の葬儀には
100人程の方が参列してくれたそうです。
最後の納骨までたくさんの方が
残ってくれてて、きっとおじいちゃんも嬉しいだろうなあ、と。
うちの周りは老人会が主力の
過疎地域だから地域の繋がりも
濃くて集落のほとんどの人が
お線香をあげたり葬儀に来てくれました。
小学校の頃から
登下校中に挨拶してくれた
近所のおばちゃん。
頑張るんだよ、と励ましてくれました。
おじいちゃんの分も
頑張らなきゃいけない。
お父さんは末っ子ながら長男だったので、事務的な処理に忙しそうでした。
悲しみにくれる余裕なんてなかったんじゃないかな。
でも今日電話したら
電話越しに競馬のテレビの音が聞こえてきたので大丈夫だと思いました。笑
問題はおばあちゃん。
畳の部屋にひとり残されたおばあちゃんが心配。
平日は昼間ひとりだから
猫くらいしか相手がいないし。
是非あの明るいキャラクターで
畑仕事とか木目込み教室とか
アクティブに過ごして欲しいものです。
隣のおばちゃんもひとりだから
相談相手になって欲しいね。
今度帰るのは四十九日かもしれません。
日蓮宗のお寺なんだけど
仏教も奥深いな、と思いました。
おじいちゃん、どうか天国でも元気でね。
19年間ありがとう。
わたしは東京で頑張るので
おばあちゃんを見守ってあげてください。
夏に畳を擦りながら歩く、
下着の白いタンクトップに白い短パンをインして、おばあはまだ帰って来ないのか、って居間の椅子に座るおじいちゃんの姿、絶対に忘れないからね。
帰ったときはいつでもお線香あげるし、お盆にはお墓参りに行くからね。
いままで本当にありがとう。
89年の人生、お疲れ様でした。
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