「日本の裁判は遅い」
誰でもそう感じた方はいるでしょう。

加害者が法廷で自分の都合のよいことしか
供述せず、死人に口なしで言いたい放題。
遺族は2度、殺される思いがします。

証拠もあって本人も認めているのに、
刑の重さや期間を巡って
最高裁まで10年以上、なんてことは
ザラです。

弁護士の腕次第で刑は軽くなる。

慎重なのはよいのですが、これでは遺族は
浮かばれません。

当時のイスラエルの刑法は明確でした。

「故意の殺人は一人であっても死刑」

「意図せずに殺人をしたものは避難都市へ」

前者は明確ですね。
後者の避難都市ってなに??

「意図せずの殺人」は今でいう
業務上過失致死にあたります。

日本ではまず逮捕収監され、起訴を経て
裁判で刑が言い渡されます。

面白いことに、イスラエル国内には
大きな都市と都市の間に「避難都市」なるものが
置かれました。

東端のベツェル、中央に位置するラモト、
北方のゴラン(PKOで有名なゴラン高原)
人口の多いエルサレム周辺のヘブロン・シェケム
そしてガリラヤ湖の近くのカデシュ。
6つの都市に配置されました。

その避難都市を目指して走れば、どこも3日以内で
到着できる場所に配置されます。

とはいえ、事故であっても殺人は殺人。
遺族は、加害者を罰するための「復讐者」として
代理執行人を立て、逃げる人物を追うことも
依頼しました。

しかし、避難都市に逃げ込むと

それ以上の追跡はできません。

今の大使館みたいです。

ただ、逃げ込んだ後は、きっちり調査がなされます。

逃げ得は許されません。

それがやむを得ない・偶発的な事故だったのか。

注意義務を怠っていなかったのか。

巧妙に事故を装った殺人なのか。

被害者と加害者の日頃の関係性。

検察・警察の代わりに、避難都市にいる
レビ族の「祭司」が遺族の訴えを聞きます。
レビ族は12部族で土地は配分されておらず、
避難都市に住んでいました。

祭司は最終的に、祭壇でイスラエルの神に問い尋ねます。

結果、意図せずの殺人であれば助命。
故意の殺人ならば追っ手の復讐者による処刑。

助命されれば釈放?
いえいえ。違います。

期間が満了するまで、避難都市に滞在することが
義務付けられました。
滞在する間は仕事も与えられましたが、城壁の外には
出られませんでした。

今の刑務所と同じです。

家族に会えないわけですから、戻りたい気持ちもある。

しかし、避難都市を勝手に出てしまうと、
周辺にいる復讐者に処刑されてもよし、という
ルールがありました。

で、期間満了はいつ?

その都市にいる「大祭司」が死ぬまで。
避難都市には祭司が複数おり、その都市を代表する
高齢と思われる大祭司の死を以って刑期満了。
ようやく妻子や家族のもとに帰って
通常の日常に戻ることができました。

時効です。

遺族にとっても長く辛い裁判はなく、
信頼できる祭司の検証があった以上、
処罰感情をいつまでも持つことはなかったでしょう。
大祭司が死ぬまではその都市から出所できない。
ある意味で無期懲役。

「目には目を歯には歯を」。
有名なハムラビ法典があります。

紀元前1700年頃はエジプトが隆盛を
極めていたころ、ユーフラテス川沿いの
バビロンにハンムラビ王がいました。

これは単純な復讐ではありません。

復讐し過ぎてはいけない、という抑制的なもの。

「やられたらやり返す!倍返しだ!!」
というのが流行しました。

実に痛快。でもやり返された側は
もっと大きな反撃に出てくるだけで、
応酬の連鎖しか生みません。
 
聖書にも同じ言い回しの
「目には目を歯には歯を」がありますが、
こちらも同様です。

ケンカしてつかみ合いになり一方的に
ケガをさせた場合も審議されました。

人間の命は貴重なものであり、
妊婦が事故に遭い胎児が流産してしまった
場合、胎児も一人の人間として扱われました。

事故を予見し、事前に防止できたかも
審議されます。
家の欄干が落ちて通行人に当たらないよう
屋根を手入れしていたのか、
牛を飼っていて、突き癖があった場合、
それを常時つないでいたか、
それが予見でき、過失が認められれば
死刑となりました。

「未必の故意」ってヤツです。

一方で、薪を作るために斧を振り上げ
その斧の部分が外れて不幸にも相手の
アタマに当たって死んでしまった場合等は、
偶発的なものなのか、相手に悪意があったのか
避難都市で審議を受けました。

このようにイスラエルの刑法は被害者重視でした。

今のようなくだらない法廷戦術などなかったので
何か事件や事故があっても公平に裁かれて、
彼らは安心して司法(大祭司)に委ねることが
できたのです。

そして遺族や孤児は、周囲が物心両面で

しっかりと支え、慰める義務がありました。

しかしですね、この制度もやがて形骸化し、
祭司たちが賄賂を受け取るようになります。

エルサレム滅亡直前のミカの警告では

「指導者たちは賄賂のために裁いている。
祭司たちは報酬のために教えている」と。

「このままだとエルサレムはがれきの山になる」
とも。

司法が機能しなくなった国家は崩壊するのみです。

なので、当初の意図はよくても、
長年の制度が形骸化するとそれを逆手にとって
利権が生まれ、公正が捻じ曲げられてしまうのは
世の常だな、と思います。

今回もお読みいただきありがとうございました。

 

日本の裁判はもはや誰のための

裁判なのかわからないことが多いです。